17 日 目 鶴の舞橋、木造、十三湖 |
![]() 下左 デザートとコーヒー。 下右 朝食会場。展望も抜群。 |
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![]() 左 8時7分発の弘前行きに乗車。隣の陸奥鶴田まで1駅だけ乗車する。 |
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![]() 陸奥鶴田駅の駅名標。 五能線の駅名標は絵入りだ。 ここは岩木山とこれから行く鶴の舞橋が描かれている。 下 駅舎。鶴が羽ばたいている姿だ。(鶴の舞橋から戻ってから撮影。) |
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![]() 15分ほど、8時30分ごろに鶴の舞橋に到着。メーターで2100円。帰りは10時20分に迎えにきてもらい、歴史文化伝承館に立寄ってもらうことになった。503という車で、番号をひかえておいた。 |
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![]() 完成は1994年と新しいので、観光目的でつくったのだろう。 左 南側の橋の始まる地点。 |
![]() 下左 太鼓橋を渡りはじめる。 下右 鶴がきていた。立っているので、湖もごく浅いのだろう。 |
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![]() 岩木山の頂上がかろうじて見える。屋根があるのは、橋の途中2ヶ所にある休憩所。橋の真下は水がわずかにあるが、橋の左側は干上がっている。 |
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![]() 鶴田町歴史文化伝承館に立寄り。 |
![]() 下 大河ドラマ「いのち」のロケ地でもあるらしい。1986年と古く見ておらず、初めて知った。大河ドラマでは珍しく戦後もので、津軽が舞台になっている。 |
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![]() 上右 五所川原からの代替バス。次の駅の木造まで向かう。 左 木造駅で下車。駅舎は遮光器土偶がでんと構えている。度肝を抜かされる巨大なオブジェだ。 |
![]() つがる市の亀ヶ岡遺跡から遮光器土偶が出土したことから、遮光器土偶関係の写真などが中心。 |
![]() でも様子がおかしい。工事中なのだ。 |
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![]() 上右 ここから市浦支所前行バスに乗車。 左 やがて十三湖が見えてきて、海とつながる湖を十三湖大橋で越える。 |
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![]() 上右 十三湖に橋があり中の島に渡るようだ。 左 橋を渡る。 下 十三湖の広さを実感。右端に十三湖大橋が見える。 |
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![]() 左 橋を渡った先にあるのが中の島。中の島には「市浦歴史民俗史料館」がある。 その中で見た十三湖の写真。右下に中の島がある。 |
![]() 十三湊遺跡は十三湖大橋の南側にある。室町時代には、日本有数の港の1つで、博多に匹敵する規模だったということでびっくり。 |
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![]() 上右 しじみ汁を注文し、座ってできあがるのを待った。 左 しじみ汁。十三湖名産のしじみを湖で食べられてよかった。 |
![]() 十三湖大橋を渡ると、十三湊遺跡の中心地があった。 |
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![]() 上右 バスを下りるとすぐに竪穴建物跡への矢印があった。 左 矢印の方向にはビニールシートが敷いてあった。有名な遺跡なのに、こんなに簡素なアクセス路でびっくり。 |
![]() ここで、大失敗。亀ヶ岡遺跡はここだけだと思ったのだ。あとで調べると、この場所以外に、遮光器土偶が見つかった場所など見るべきポイントが歩いて数分以内に点在していたのだ。事前の調査不足で恥ずかしい。 |
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![]() 上右 五所川原までのバスは中型だった。 左 この写真で、池の向うに「縄文館」という展示館があるが、この日は休館の月曜だったので行けなかった。 亀ヶ岡遺跡は、十分に見ることができなかった。遺跡自体の全体を見なかったし、縄文館が休館日、カルコが工事中だったので。 いずれ、行きなおそうと思う。そのときは、鶴の舞橋と十三湖はもういいので、亀ヶ岡関連の4ヶ所(駅、遺跡、カルコ、縄文館)にしぼりたい。 |
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![]() 下 お通し。 飲物の写真がうまく撮影できていなかったが、最初に生ビール。あとで冷酒。 |
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串焼き |
![]() 左 豚バラの野菜巻、串焼盛合わせ。 |
![]() お腹いっぱいになって宿に戻った。 |
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