23 日 目 象 潟 |
![]() 日替わりでいろいろなスープを出していて、この日はきりたんぽ汁。カップがスープカップなのがやや難だけれども。 デザートとコーヒーは前日と同じなので写真省略。 |
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![]() この日は象潟に向かうが、1本前だと6時台になり、7、8時台にないため。 左 象潟が近づいてくるとガラガラ。 下 10時24分、象潟着。自分以外にも2人下車したが、観光客ではない。 |
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![]() 1843年の地震で隆起して、水面がなくなったという。芭蕉が歩いてから地震まで200年弱、地震から現在まで200年弱。 左 一帯は天然記念物になっている。 |
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![]() 駅からまず一番右の象潟町役場(現在はにかほ市役所の支所)のそばにある資料館に行き、そのあとは芭蕉の歩いた道を歩いて島がたくさんある一帯で"島めぐり"をして、図の左下あたりにある道の駅で昼食にしようと計画をたてた。 左 芭蕉が歩いた旧街道はわかりやすく表示されている。 |
![]() 下 撮影可であった昔の象潟の模型。 下が海で、象潟は湖だが、川のような水路で海とつながっている。 海岸に沿って旧街道がある。現在のJRと国道7号は湖の一番下側の付近を通っている。 |
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![]() 下 屋外には「埋もれ木」が展示されていた。鳥海山の噴火で山が崩れて、埋まった木だ。 象潟は鳥海山が崩れた土砂によってできたことも知れた。松島湾は山が沈んだのだが、それとは違うでき方で驚いた。 |
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![]() 上右 旧街道はカーブがかなりある。湖と海の間の狭い陸地を通っていたためだろう。 左 芭蕉が泊めてもらった家があったところらしい。 |
![]() ここは象潟の中を運航した手漕ぎ船の出発した場所で、この石に船をつないでいたという。芭蕉もここから船に乗って象潟見物にでかけたらしい。 |
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![]() ここは6番、奈良島(南側)。 |
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![]() 下 島めぐりコースの案内板があった。 図の右側から左に歩いて、コースを発見。途中、オレンジ色の近道コースを歩いて左へ。そして下へ。最後に、コース入口の案内板を発見した。 |
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![]() 巨大なビルの道の駅でびっくりした。東北地方では最大級だという。 日本海岸を新潟と秋田を結ぶ高速道路がほとんどできているのだが、象潟と遊佐の17qが未完成で2026年完成だという。そのため象潟IC近くのこの道の駅は人気があるらしい。 車はたくさんとまっていたが、象潟観光のためにやってきたのではなく、高速道路と国道7号の接点で利用者が多いのだろうから、高速道路の開通後も客を確保するのは、よっぽどうまくやらないと難しいだろうな。 |
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![]() 右端に写っているのが西施の像。「象潟や雨に西施がねぶの花」と詠まれた西施だ。象潟の美しさを美女にたとえたもの。 左 とんかつ。 定食ではなく単品で注文。このときすでに14時30分で、あまり食べると夕食が食べられないと思ったのと、地酒のつまみにしたいと思ったから。 |
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![]() 上右 醸造元は由利本荘市の「齋藤酒造店」。象潟産の米と鳥海山からの伏流水を使った酒だという。 左 食後は展望台へ。日本海側。白いのは西施の像。 |
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![]() 左 16時7発、秋田行きに乗車。 下 日本海に沈む太陽が見られた。 17時26分、秋田着。宿へ。 |
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![]() 居酒屋は営業中だが、酒なしで軽く食べたかったので、この日は行かず。カフェやラーメン店などは閉店してしまっているところが多い。まだ開いていた前々日に行ったラーメン店「末廣ラーメン本舗」へまた行った。 あさり醤油にした。あさりの出汁がよくでているスープだ。 |
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