4 日 目 米 沢 |
米沢へ |
![]() 1週間ほど違いで、朝食が弁当になるとの掲示があった。コロナ禍のときみたいだ。弁当は嫌なので、1週間違いで助かった気分。 下 9時前にチェックアウトし、駅へ。もともと9時34分発の普通で米沢に向かう予定で、TVでも、山形新幹線は9時ごろから運転開始と報じていた。確かに、新庄方面は9時ごろから運転開始のようだが、米沢方面は10時2分発「つばさ」からだという。予定していた9時34分発の普通は運休。 |
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![]() 待っている間、「つばさ」が予定通り新庄を出発しているなどのアナウンスもあり安心できた。 10時2分発の「つばさ」東京行き。 |
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![]() 予定していた普通より15分遅くなったが、観光に支障はない。 |
![]() 下 駅前広場は、除雪された一本道が歩けるだけ。ここを歩いて、1泊する「東横イン 米沢駅前」へ荷物を預けに行く。 東横インは、一本道の先に見える少し高い建物。 |
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米沢街歩き |
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![]() 写真は橋を渡る箇所。 左 歩道が除雪されている区間も多いが、路面が凍っていたり、溶けてべちゃべちゃになっていたりして歩きにくい。 |
![]() 下 参道を歩いて、廟の並ぶエリアに到着。 「龍」と「毘」の旗は上杉謙信の軍旗。 |
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![]() 下 謙信廟に向かって左には、2代・景勝から偶数代の廟が並び、廃藩時の12代・斉憲まで続く。写真はないが、右には、3代から11代まで奇数代の廟が並ぶ。 廃藩までの全部の藩主の廟がそろっているのは上杉氏だけだ。 |
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![]() 直江兼続の兜の「愛」にちなんだ「愛」の字が印象的。 |
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![]() 上杉謙信を祀る。 |
![]() 上杉景勝、直江兼続、上杉鷹山ゆかりの品を保存している。大正8年に、米沢出身の建築家、伊東忠太設計でつくられた上杉神社のほか、平安神宮や明治神宮は彼の設計。この建物も登録有形文化財。 |
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![]() 上杉家は廃藩後、伯爵になったが、その屋敷。火災で焼失し、大正8年にできたもの。戦後、屋敷は上杉家から米沢市に寄贈され、見学可能で、料理店も入っている。でも、雪のため、庭園に入れなかった。 |
![]() 主神として上杉鷹山を祀る。 下 「伝国の杜」。上杉博物館と置賜文化ホール(劇場兼コンサートホール)が合体した施設。 |
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![]() 上右 ホールでは演奏会の練習が行われていた。 左 上杉博物館の側へ。入口には、直江兼続と上杉景勝の兜。 |
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![]() 左 ここの一番のみものである「洛中洛外図屏風」。屏風の展示室は撮影禁止で、別の部屋の説明を撮影。 洛中洛外図屏風は、何種類かあるが、ここのは国宝。信長が狩野永徳に描かせて謙信に贈ったとされる。当時の京の町家や農家の生活ぶりなのがうかがえる。 |
![]() 椿貞雄は米沢出身の画家で岸田劉生と交流があり、似た絵を描いている。少女を描いた絵など岸田の絵とそっくりだった。 館名には上杉をつけているが、米沢の文化について全般的な収集をしているのだろう。撮影は禁止。 |
![]() 「東光」は米沢城の東にあって、朝日が上る方角の酒として名付けられた。上杉家御用酒を醸造する小嶋総本店がつくる。 |
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![]() 最初に一番人気だという献上酒。2種類あるが右のほう。 |
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![]() もう1種類を試飲し、宿に戻った。 |
夕食は牛鍋 |
![]() 部屋は、山形で泊まった東横インとほぼ同じ内装なので、写真は省略。 |
![]() 向かったのは米沢駅舎と道路を挟んだあたりにある「おおき」。牛鍋の有名店だ。 |
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![]() すき焼きに似ているが、すき焼きは、最初に牛肉だけを鍋底で焼いて、そのあと野菜などを入れるのに対して、牛鍋は、野菜などの上に牛肉が置いてあり、蓋をして、野菜と牛肉を同時に煮るのだという。 |
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