6 日 目 銀 山 温 泉 |
大 石 田 へ |
![]() 一番上は、野菜ともやしのおひたし、右端は、厚揚げの煮込み。右下のみそ汁は、野菜たっぷりで美味しかった。 |
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![]() 左 "おおくらくん"というユルキャラ。バスのフロントの絵だけでは何かわからなかったが、横の絵を見て、雪だるまだったことが判明。 |
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![]() 往復券は、前日、バスを下車するさい、1100円を渡すと、往路分をドライバーが手元に置き、復路分だけを受け取った。片道600円なので、往復だと100円安い。 |
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![]() 新庄駅で2編成が並ぶ「つばさ」。左はE3系、右がE8系。2編成並ぶと、形状や塗色の違いがよくわかる。乗車するのは右のE8系。 |
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![]() 席の色は、E3系では赤だったが、E8系は黄。E3系にはついていなかった肩あてがあった。 |
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![]() 短い距離なので、計画では後続の普通で大石田に向かい、新庄と大石田で時間つぶしするつもりだった。 この3日前に山形街歩きのさい、山形県立博物館で大石田は、江戸時代には最上川水運の拠点の街として発展したと知ったので、急きょ訪問することにしたのだ。 左 大石田駅舎。 |
大石田を歩く |
![]() 気になって、旅行記を書きながら、ネット検索してみた。銀山温泉などがある尾花沢市との合併はないのかと。 2007年ごろ、合併協議会がつくられ、合併が決まりかかった。しかし、大石田町民の反対が強く、白紙になったようだ。 江戸時代には大石田は最上川水運の拠点になり、奥羽本線も大石田を通った。しかし、主要道路は尾花沢を通り、モータリゼーションにより、尾花沢が大石田をしのぐようになった。それで、大石田にとっては益が少ないと合併反対なったとのこと。 |
![]() 大石田が舟運で栄えた江戸時代の風景の絵などがあった。資料室は撮影禁止。 |
![]() 斎藤茂吉は歌人ということしか知らなかったが、作家の北杜夫が次男だということで興味深かった。 |
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![]() 下 渡った所から見た最上川。 河岸には堤防が作られ、河岸に舟屋や蔵が並んだ江戸時代の様子を想像するのは難しい。 |
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![]() 堤防には蔵の外観を描いていてユニークだ。 |
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![]() 船役所は、ネット検索してもよくわからなかったが、おそらく、舟屋や蔵を管理し、税を課した役所だろう。 |
![]() 下 最上川の堤防へ上れた箇所から上流側を見る。この先の右にカーブしているあたりが、最上川で流れが一番速いといわれる「さみだれの瀬」。 |
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銀山温泉へ |
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![]() 温泉街の南端にある橋の付近の駐車場で車を下り、ドライバーについて、歩いて宿に向かう。 |
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![]() 14時30分、温泉街の散策スタート。 |
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![]() この旅館の場合は、絵ではなく、旅館名と創業者名の字が書かれ、同じような旅館も多かった。 |
![]() 「昭和館」と川をはさんで建つ「藤屋」。撮影しなかったので、写真を拝借した。 ここは隈研吾の設計した旅館という。 |
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![]() 上右 「能登屋」のこて絵。創業者の名前だが、3階から1階までの超長いものだ。 左 公衆浴場の壁画のようなこて絵もあった。 |
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![]() 14時30分に、温泉街の散策を始めたとき、真っ先にくるべきだった。残念だけれども、銀山温泉の公衆浴場は断念。 |
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![]() 左 こて絵の1枚、8月の夏祭り描いたもの。 |
夕食と夜の外出 |
![]() このときは先客があったのだが、夜遅くに行ったときは1人だった。これは夜遅くの撮影。 |
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![]() 左から。山形牛陶板焼き、養老豆腐、前菜3種、南瓜のすり流し、その上に造り。 右端は、食前酒のこくわ酒。山の実こくわと焼酎でつくったこの旅館の独自の酒。 左 飲物は冷酒「おばね酒」。醸造所は、東根市の「六歌仙」」。 |
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![]() 寒燗汁は、ネット検索しても見つからないので、この宿のオリジナルかもしれない。かす汁に豆板醬を加えてピリ辛にしたもの。 |
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![]() 左 「能登屋」の夜景。 宿に戻るとすぐに温泉で温まった。21時30分から、天空風呂は男になっていたのだが、混んでいた。でも、夕方混んでいた男湯は今度は1人で入れた。 |
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