4 日 目 タワーブリッジなど
タワーブリッジ |
![]() この日はタワーブリッジとロンドン塔に行った後、ナショナルギャラリーに行く予定だ。 |
![]() 下 下車して少し歩くとあとで訪問するロンドン塔が見えてくる。"塔"と呼ばれているが、実質は城。 |
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![]() 下 タワーブリッジを撮影しようと、少し離れたところへ向かった。 跳ね橋が上がっていた。上るのはめったにないということでラッキーだった。 |
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![]() 通行止めは、訪問日とその前日、翌日の3日間。跳ね橋が上るのは1日に2、3回しかないらしいので、運がよかった。 見学者であることを伝えて、バリケードの中に入る。わずかな見学者以外は車も人もいない橋を見られた。 入場券を買って、しばらく待たされる。上部の通路に上るエレベータを待つためだ。 |
![]() 下 橋の上部から見たテムズ川。東側を見ていて、遠くに見える高層ビル群はドックランズの再開発地区。 |
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![]() 階段で下まで下りた。 |
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ロンドン塔 |
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![]() 左 ロンドン塔の入場券売場まで遠かった。売場から、やってきた道を引き返して中へ入る。 下の門は、トレーダースゲート(反逆者の門)。ここを通ると二度と出られないと言われた。 上部の木造の部分は、Medieval(中世の)パレスとの説明があったが、ずいぶん大雑把な言い方だ。 |
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![]() 11世紀、ウィリアム1世のときに、ロンドン塔の中で最初に建てられた。 |
![]() ただ、日本から江戸時代のはじめに贈られた甲冑もあったのにはびっくりした。鎖国になる前、旧教国を排除して、オランダ一辺倒になる少し前は、英国との友好も模索していたということのあらわれだし。 |
![]() 宝石つきの国王の冠はじめ宝器が展示されている。内部は撮影禁止。 |
![]() 内部でも立ち止まらないようにせきたてられたり、一番人気の王冠のところは動く歩道に乗っての見学だった。 |
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![]() 写真では斬首刑のイメージ画像が投影されているが、ここは処刑場ではなく、監獄だったところ。 |
![]() 右上は、ヘンリー8世の王妃で、エリザベス1世の母であるアン・ブリン。ヘンリー8世によって、処刑された。 真中の下が、1941年、最後の処刑となったドイツ人スパイ。 ほか、ヘンリー8世に反逆したとしてトマス・モアが処刑されている。 |
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![]() 王宮でありながら、処刑場や監獄でもあったロンドン塔をあとにした。 |
ナショナルギャラリー |
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![]() 左 地上に出ると、そこがトラファルガー広場。 |
![]() 1805年、ネルソン提督率いる英国艦隊が、トラファルガーの海戦でフランス・スペインの艦隊をやぶり、ナポレオンの英国進出をはばんだ。 下 ナショナル・ギャラリー。 |
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![]() 上右 玄関を入ったところ。 左 ゴッホ「ひまわり」。ゴッホの絵画の中で一番有名なものだろう。同じような構図のひまわりの作品を描いているが、その1つ。南仏アルルで描いたもの。 |
![]() モネの住んだパリ郊外の街。どんよりした雪の積もった日の雰囲気がでている。 |
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![]() セーヌ川でおしゃれな服装をした女性がボートを漕いでいる。 自分が興味をもつ印象派の絵画はそう多くなかった。フェルメールの絵画が1点あるのだが、そのウィング全体が閉鎖されいたのが残念。 |
![]() 古い時代の有名人が多く、ほとんどわからず、歩いて通過しただけ。 |
![]() ヘンリー8世とアン・ブリンの子で、英国国教会を確立する。 |
中華街で飲茶 |
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![]() 左 さらに北には中華街があった。ここで夕食をとる。 |
![]() 入店したのは「プラムヴァレー」という店で、外のテーブルを利用。 |
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![]() 左上は小籠包、右上は野菜を詰めて蒸したもの、右下は揚げ春巻。 美味しかったのだが、ビールと合わせて、約26£、約5000円で高いのが難点。 |
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