17 日 目 リ ヴ ァ プ ー ル へ
リヴァプールへ |
朝食。 前日とほぼ同じだが、もう食べることはない可能性が大きいので、写真をあげる。黒いのは、左が羊の内臓をきざんでかためたハギス。右が豚の血をかためたブラックプディング。 |
カフェオレとデザート。 |
上 グラスゴー・セントラル駅へ。リヴァプールへ移動する。 左 8時38分発のロンドン・ユーストン行きに乗車する。 ウィガン・ノースウエストは、リヴァプールとマンチェスターの中間にある駅で、ここからリヴァプール間ではローカル線に乗車する「。 グラスゴーとリヴァプールの直行列車はわずかな本数しかなく、たいていはウィガン・ノースウェストで乗換になる。 乗車する列車はグラスゴーとロンドンを直行するような路線を走り、リヴァプールもマンチェスターも通らないからだ。 下 乗車した列車。運行会社は、アヴァンティ・ウエストコーストで、イタリアで国鉄をひきついだトレタニアが出資している。 |
英国ではネット予約した切符は、メールに添付されたQRコードまたはそれを印刷した紙でということたった。 しかし、この列車だけは、メールを窓口で見せて、紙の切符に変えなっければならなかった。2社にまたがる切符だからだろう。 |
車内。 下 ウィガン・ノースウェスト着。 |
7分の乗継時間で、ホームの移動があり忙しかった。 |
リヴァプール・ライムストリー行きのローカル列車。運行会社はノーザンレイル。 |
車内。 下 リヴァプール・ライムストリート着。 |
駅舎。 |
4泊する「ザ・ミニュシュパルホテル・リヴァプール」へ。 ホテルの近くまで行って、あまりに大きな古めかしいホテルでびっくりした。この旅行で利用したほかのホテルと比べて、値段が格別に高かったというわけではなかったので、予想外だった。 |
玄関。 |
チェックイン後、部屋まで従業員がついてきてくれたので、行けたが、1人だとわかりにくかった。その後、出かけた際には、何度か間違えたり、大回りをした。 部屋に入る。 |
窓側から入口側を見る。 建物が壮大だった割に、部屋は普通の部屋だった。 |
リヴァプール街歩き開始 |
マージ―河畔のピアヘッドといわれるエリアに出た。 スリー・グレースィズと呼ばれる3つの巨大ビルの1つ、ロイヤル・リヴァ―・ビルディング。もとは保険会社のビルで、できた当時は英国一高いビルだったという。 以前は、世界遺産「海商都市リヴァプール」を象徴する建築だった。リヴァプール観光の最初に見られてよかった。 しかし、2021年、リヴァプールは世界遺産の指定を取り消された。再開発が取り返しつかない形で行われたためということだ。 |
ロイヤル・リヴァ―・ビルディングの前にある石でできたベンチには、かつて港を走っていた路面電車の路線図が描かれていた。 そこには、数多くの突堤が描かれている。そのほとどは今はなく、今は突堤の間が埋め立てれれて、そこに観光施設などがつくられている。こうした再開発が世界遺産取り消しの理由のようだ。 |
路面電車会社の紋章かな。 |
タイタニック記念碑。 ここでは説明がなく、なぜタイタニックの記念碑があるのかわからなかった。海洋博物館の展示を見て、タイタニックはリヴァプールで建造されたことを知った。 |
マージー川沿いにロイヤル・リヴァ―・ビルディングに戻った。反対側とほぼ同じデザインをしていて、美しい。 このビルの向こうに、ブリティッシュ・ミュージック・エクスピリエンスがあるが、この日は入れなかった。その前にはビートルズ像があるのだが、観光客が途切れなく記念撮影するので、この日は撮影をあきらめた。 |
ポート・オブ・リヴァプールビル。 ロイヤル・リヴァ―・ビルディング、ブリティッシュ・ミュージック・エクスピリエンスとあわせて、スリー・グレースィズといわれる。 |
リヴァプール博物館。 特異な外観だ。入口は写真では向う側にある。 |
フットボール関係のコーナー。 |
ビートルズをふくむミュージックのコーナー。 |
港を走っていた路面電車。 |
ドック(造船所・船の修理場)とレンガ造りの建物がわずかながら残されていた。 |
かつて突堤と突堤の間だったところが湾のように残されている。 対岸の一帯がアルバート・ドックと呼ばれる一帯で。テート・ギャラリー、マージ―サイド海洋博物館、ビートルズ・ストーリーなどがある。 下左 アイスクリームなどを販売していたキッチンカー。 下右 アイスクリーム。 |
テート・ギャラリー。 現代アートの美術館でロンドンにあるテート・ギャラリーの分館。 下左 意味不明だが、面白いデザインだった。 下右 黒人差別を取り扱った作品の1つ。 |
最近の作品が多く展示されていたフロア。 |
マージ―サイド海洋博物館。 |
上の階から見て下へ行こうとしたら、いきなり奴隷博物館だった。なぜ奴隷博物館なのかって思った。 見て回ると、奴隷貿易によってリヴァプールが栄えたという観点が重視されていて、海洋博物館の1つのフロアを構成する意図もなんとなくわかった。 |
タイタニック号については1つのフロアを使って展示されていた。 乗船者全員について乗船等級や生死などについて詳細な記録があった。 タイタニック号がリヴァプールで建造され、処女航海のサザンプトンへ回送されたことを初めて知った。 下 タイタニック号の航路。タイタニック関係は時間をかけて見学した。 |
ビートルズ・ストーリー。 ビートルズの結成から解散までの歴史を、写真と物品でたどっていく形式。 |
ビートルズがまだ知られていなかったころから展示が始まる。 バンドの結成は1957年だが、ビートルズを名乗ったのは1960年。最初のレコードが出たのが1962年。そして1970年に解散。1962年ごろまではメンバーの出入りが結構多くあったようだ。 |
初期に演奏の主会場であったパブのステージの複製。とても小さくてびっくり。 |
ジョン・レノンが使用していたというメガネ。使用していたメガネは多数あるだろうし、その1つということだろう。 下 マージ―河畔を散策。 |
マシューストリート。 ビートルズが連日出演していたパブなどがある。ビートルズグッズを売る店やビートルズのミュージアムはすでに入れず、別の日に出直すことにする。 |
ビートルズが連日出演していたパブ「キャヴァーンクラブ」。ビートルズ解散後、閉店していたが、その後、再開。 気になったは、とても密な感じで、感染症と犯罪の両面で入る気がしなかった。 |
ジョン・レノン像。 |
宿に戻る途中で夕食をとっていくことにした。 地中海料理「シラーズ」。シラーズはイランの街だが、料理はギリシャやトルコ風のものが多かった。 |
店内。 下 チキン串焼きセット。 |
飲物は「エフェス」。 |
ライトアップされた宿に戻ってきた。 |