3日目 ブキティンギ街歩き
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朝食食べて街歩きに出発 |
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![]() 下左 卵料理はその場で調理してくれる。オムレツにしてもらった。 下右 デザート。右側は寒天に甘いタレをかけたようなもの。 前日のホテルほどよくはなかったが、インドネシア風の食事ができてよかった。 |
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![]() ブキティンギのランドマークといえる歩道橋に到着。歩道橋といっても、橋は目立たず、目立つのは橋の中間に設けられている門だ。門は歩道橋を支えるために作られたのだろうが、門が目立ちすぎて、門がランドマークのような感じになっている。 この歩道橋は、2つの丘から成り立つブンドカンドゥン公園の2つの丘を結ぶものだ。 |
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![]() 上右 門から入って進むと階段がある。 左 公園の入口に到着。入口の前では落花生(皮つきピーナツ)を売っていた。落花生売りは街のあちこちで見かける。 |
![]() 西側は丘の一番高い部分に要塞があったのだろうが、今は何も残っていない。写真に写っている建物は近年たてられたもの。 下左 公園の東側に向う歩道橋。歩道橋を通っているだけだけでは、門の形はまったくわからない。 |
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![]() 左 博物館。ミナンカバウ様式で、内部はミナンカバウ人の母系社会についての展示や儀式での衣装の展示があった。なぜだか、スマトラ島で発見された奇形をした動物のはく製もいくつか置かれていて、なんだか場違いの印象を受けた。 |
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![]() ![]() 左 ブキティンギのもうひとつのランドマークが時計塔。塔の上はミナンカバウ様式になっている。 上 時計塔の周囲はさほど広くはないが公園になっていて、休憩する人でにぎわっていた。自分も歩き疲れて一休み。 |
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![]() 下左 丘の中腹に銅像がたっている。 下右 ブン・ハッタのモニュメントだという。スカルノ・ハッタ空港のハッタの銅像だろう。ハッタはブキティンギの出身で、インドネシア独立後、スカルノ大統領のもとで副大統領をつとめた人物だ。丘の上の建物はハッタの生家なのだろうか。 |
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![]() だからブキティンギは水平距離がわすかでも高低差があって、地図上では近い距離でも歩いてみると結構、時間がかかることが多い。 暑い中、坂道を上り下りするので、水分が多く必要だ。このような店で、500mlペットボトルの茶が6000ルピア、水が3000ルピア程度だ。 |
日本軍のつくった防空壕とシアノッ渓谷 |
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![]() 上右 入口にはLobang Jepang(日本の穴)とある。 左 防空壕の案内図。右下の入口から左下の調理室までは1kmほどあるとても大きな壕であった。 |
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![]() 上右 防空壕の中はほとんどの部分がこの写真のような感じでトンネルがただ続いていただけだった。説明は何もないばかりか、出口の方向の表示もなく、出るときに迷ってしまった。 左 シアノッ渓谷側の山の斜面に出る出口もあった。 |
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![]() 上右 一部は整備されておらず、土のままの床で天井が低い部分もあった。あえて昔のままの状態で一部を保存しているのだろうか。 左 1時間ほどかけて壕内を見学。上がる階段は15分くらいかかった。出入口の近くに日本兵の銅像があった。下の説明板は2004年11月にこの像がつくられたことが記されているだけだった。 |
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![]() 上右 展望台からは雄大な眺めを楽しめる。 左 展望台の下は急斜面になっていて、100mほど下に谷がある。この谷がシアノッ渓谷でこのあと行ってみた。 |
![]() 下左 さらに少し下っていくと車道から分かれて、急傾斜の歩道で下りられる。かなり急なので雨のときは危なそうだ。 下右 歩道を15分ほど歩くとようやくシアノッ渓谷の狭い谷間に下りることができた。谷底は水田が広がっていた。 |
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![]() 下右 谷底にかかる吊橋。この橋を渡って、さらに4km歩くと銀細工が有名なコタ・ガドゥンの村があるのだが、時間の都合で吊橋を渡ったところで引き返した。 左 渓谷から100mの高さを今度は上がり、防空壕と同じ高さまで戻った。ヤレヤレと思ったのだが、これから昼食をとろうとしたら、食事のできる店の多いエリアに行くには、さらに坂を上がって、そのあとで坂を下りなければならない。ホント坂道で大変な街だ。 |
パダン料理を食べて市場をぶらぶら |
![]() ![]() 左 遅い昼食をとりに向ったのはセラマット。 上 料理の入った器が重ねられているのがパダン料理の店の特徴。 |
![]() ただ、この日は、手をつけた、つけてないとかのトラブルになったら困るとか考えて、店先で食べたい料理だけを指さしして運んでもらった。さまざまな料理が並べられる正式な食べ方は翌日にでもやってみよう。 当然ながらビールはないので、飲物はコーラにした。 |
![]() 青菜、チキンの煮物、卵、魚、ルンダンをのせた。ルンダンは牛肉を香辛料で長時間煮たものでパダン料理の代表格だ。 飲物を含めこれだけで約4万ルピア。ルンダンは皿に2枚入っていたのだが、料金は1枚分だけだった。 |
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![]() アーケードのある建物の中を歩くと、スカーフの店があるのだが、顔だけのマネキンの顔がとてもリアルでちょっと怖い。 |
![]() ![]() 市場の外の道端では石が売られていた。どうみてもタダの石のようだが、どんな価値があるのだろうか。 上 グラインダーで石を研いでいる人もあちこちにいる。 |
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![]() 下左 白菜はとても小さい。日本の白菜と比べて、長さは3分の2くらい、大きさは半分くらだろうか。こんな小さい白菜を見たのははじめて。ブキティンギは高原だから、白菜をなんとか作れるのだろうが、それでも熱帯は白菜には条件が悪いのだろう。 下右 キャベツもとても小さい。こちらも高原なので作れるのだろうが、条件はよくないのだろう。 |
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屋台食食って街歩き終了 |
![]() 街のあちこちで屋台が店開きしていったが、もっとも屋台が多かったのはジャラン・アハマッ・ヤニ。街のランドマーク、歩道橋を支える門がある通りだ。でもほかの通りもあちこちで屋台が店開きしていた。 |
![]() バクソは、魚のすり身をダンゴにしたつみれのこと。通常は麺の具として使うので、BAKSOとあれば、”つみれ入りの麺”の屋台と考えてよい。IKHLASはイスラムのルールに則った処理をしたハラールの食事だということかな。 |
![]() 麺は乾麺でインスタントラーメンのようだったが、スープは自家製だ。バクソは思っていたよりもたくさん入っていて、大きさが不揃いでとても大きなバクソもあった。 オレンジ色のサンパルと黒いケチャップマニス(インドネシア風の醤油)がかけられ、唐辛子もそえられている。結構、辛い味になるのだが、美味しいが、量は少ない。1万ルピア(約100円)。 |
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![]() サテというと、串焼肉にピーナツソースがかけられるっていうのが、インドネシアやほかの東南アジアで一般的だが、そうじゃないのもあるってのが新鮮だった。 |
![]() このあと、1時間かけてホテルに戻った。途中、明かりのほとんどない中、急な坂道も上がっていった。 |
![]() 前年の同じ時期マレーシアでもランプータンをどっさり買って食べた(前年の記録)。今回より少し少ないくらいの量で70円くらいだったのだが、激安でびっくりしたのだが、今回はさらに安かった。 |
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