2日目     

8時すぎに旅館を出発、地下鉄駅近くの店で、キンパプで朝食。キンパプといってもいろんな種類がある。メニューには○○キンパプがたくさん並んでいるが、違いはまったく不明。というわけで、上から2つ目あたりは、よく注文される種類だろうと思い、指差しして注文。いたって、普通のピンパプであった。韓国のキンパプは注文してから作ることが多いのだろうか、暖かいご飯であることが多い。

ソウル市内には5つの王宮がある。(5大宮=景福宮、徳寿宮、慶煕宮、昌徳宮、昌慶宮) そのうち、景福宮へ。5つの王宮のなかでは一番古いものである。 李王朝が太祖によってつくられ、ソウルが都になった14世紀末の創建である。その後、16世紀末の豊臣秀吉の侵入(壬辰倭乱と呼ばれる)のさいに焼失した。その後は、徳寿宮が李王家の住まいになった。19世紀半ば、高宗によって再建され、再び正宮になった。

しかし、日韓併合のあと、この敷地内に、建物を壊して総督府が建設された。そして正門である光化門の背後には総督府がそびえたった。さらに、その北側に、古い建物が隠れるような状態になった。

上の画像の、門の手前が広場になっているが、ここに総督府があった。戦後は、韓国政府の庁舎や国立博物館として利用されていたが、1995年に解体された。はじめて、韓国を訪問したのは、解体される直前で、建物全体がシートに覆われていた。その解体後、総督府建造のさいに取り壊された建物も再建された。

景福宮の中でも最大の建物である勤政殿。王の即位式などがここでおこなわれた。この中には、王の椅子も置いてある。ところで、この日はどうも様子が違っていた。イベントが行われるのだろうか。上の階段を上ったところに王の椅子らしきものがあるし、パイプ椅子が勤政殿前の広場を取り囲むように並べてある。

さらに、この後方には、いろいろな建物が残されていた。ひととおり見ていくと、かなり時間を要する。

敷地内のかなり北に香遠亭があった。池に浮かぶ島を模している。韓国ではこうしたスタイルは珍しいと思う。歩きつかれたので、ここで一休み。

外に出るために、もう一度かなり歩き、入口まで戻る。するとイベントがはじまりかけているようだった。

イベントは、王の即位式のようだった。宮廷衣装を着た多くの人が出番を待っている。勤政殿の前では、リハーサルをやっていた。しばらく、見学した。階段の上の王座のあたりから指示が出され、宮廷貴族役の人たちが演技をしていた。

30分ほど待っていたのだが、なかなか本番が始まる気配がなかったので、あきらめて外に出た。

続いて、明洞(ミョンドン)へ。明洞も行くことが多いが、昼間に行くことは最近はあまりなし。ソウル一の繁華街を歩いてみた。

昼食は参鶏湯(サムゲタン)。鶏の中に、米と漢方薬を詰めて煮込んだもの。明洞の百済参鶏湯は、10年ぶりの入店である。店の雰囲気も何か違うような感じがするし、味も落ちてしまっているよう感じた。骨をとるのに手間取るので、参鶏湯を食べるのには時間がかかる。

続いて、西大門独立公園に行った。前回の訪問は、開設後まもない時期でまだ未整備の感がぬぐえなかった。その後、かなり整備が行われたという話を聞いたので、再訪問してみた。

10年ほど前の訪問時は無料で、公園から自由に敷地内に入れたように思うが、入場料を取るようになっていた。といっても1500ウォンだが。刑務所の正門のようなところから、中に入るようになっている。

中に入ると、まず展示館がある。管理棟もかねているようだが、前に来たときは、展示はそう多くなく、なぜか、中国での731部隊の人体実験などの展示をやっていたのが、記憶に残っている。それも、すぐに見終わってしまった。今回、建物は同じだが、随分、パワーアップしていることを確認した。

日本統治下で刑務所に収容された独立活動家がどんな目にあわされたかがメインになっている。地下に、刑務所での拷問のありさまを人形で展示していた。拷問を行っている日本人は、いかにも憎たらしいといった顔つきをしている。内側に刃物の突き出た木箱に人を入れて箱を動かす拷問。爪と身の間に針を突っ込む拷問。電気を流す拷問。

2階には、立牢があって、立ったまま身動きができない状態で閉じ込める部屋があった。自分が入ると、背が高すぎて首を曲げないと入れなかった。このまま入れられると、まず首が異常になりそうだ。

どこまでが事実で、どこからが誇張なのかはっきりしなかったが、ほとんどの人は事実として見ているのだろう。しかも、生きた歴史教育がなんとか、、と設置目的が書いてあって、子供に見せるのが重要な目的になっているようだ。

次に、刑務所の房舎。これは、前回来たときと変わっていないようだ。廊下をはさんで、房が並んでいる。2階にも房があるが、2階は立入禁止になっていた。

独房。手前の2室は、日が差し込まず暗い感じだ。

前回はなかったのが体験館。かつて囚人が作業をさせられた建物を利用して、見学者が体験ができるような工夫がされている部屋が並んでいた。最初の部屋で、ビデオを見る。拷問を受けた人のインタビューなどがその内容。次の部屋では、拷問の擬似体験ができる。望遠鏡のようなところから、拷問の様子が見られるようになっている。

次の部屋では、死刑宣告を聞く体験。そして、次が、上の画像で、椅子に座ると、しばらくすると、椅子が少し下に下がるようになっている。つまり、死刑の体験だ。説明には、愛国烈士がどんなことを考えながら死んでいったか考えてみましょう、といったようなことが書いてある。

獄舎は1箇所からいくつかの棟が放射状に伸びていて、全部の棟を一度に見ることができる構造になっている。上の画像の真ん中の奥のあたりが中心。

体験館を出ると、ハンセン病患者用の隔離獄舎もあった。

そして、死刑場が残されていて、見学できる。これは前回も見た。死刑囚は、椅子に座らされて、上から下ろされるロープを首にかけられて、その後、椅子のくっついた床板が落ち、死刑囚が吊るされるしくみになっている。(死刑場の内部も公開されているが、ここに画像を掲載する気にはなれないので、掲載はしない。上の体験室と同じような感じである。)この死刑場をはじめ、いくつかの施設は史跡に指定されている。

遺体を刑務所の外にある共同墓地に捨てるための秘密の通路もあった。これは、日本の手によって封鎖されたが、独立公園をつくる際に入口から40mが復元されたという。

このあと、徳寿宮へ。5つの王宮の中では一番小さい。繁華街に一番近いところにあるので、公園のような利用のされ方をしているようだ。

15世紀に建設されたときは私邸のようなものだったが、秀吉の侵入時に景福宮が焼失して以降は、ここが正宮になった。その後、正宮は昌徳宮に移された。しかし、大韓帝国末期の1907年、再び徳寿宮が正宮となった。

現在の建物は20世紀に入ってから建造されたものがほとんどである。上の画像は、徳寿宮の中心的な建物である中和殿。ここで王の即位式などが行われた。

ここの特徴は、西洋式の石造殿があること。1909年に建設されたもので、建設したのは日本の大倉組であった。 外国使節の接待などに使われたが、その翌年、日韓併合があった。

第二次大戦後朝鮮の統治方法について、米ソ共同委員会がここで開催された。結局、臨時政府樹立などについてまとまらず、南北が分離していった。

海鮮スンドゥプチゲ。豆腐専門店ということだったが、豆腐の形のまま食べさせるメニューはなく、チゲにして出している。

さらに、ナクチビビンパブ。タコ入りのビビンパブである。かなりの辛さだった。

仁寺洞の伝統茶館に入って休憩。冷たい五味茶を注文。真っ赤な色をしている。甘み、辛み、酸味、苦味、渋みの5つの味がするので、この名がついているようだが、甘みと酸味以外はよくわからなかった。ここで一休みした後、旅館に帰る。

 

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