2日目前半  木 浦  を 歩 く

 

 

  朝起きて、まずはシャワー。そして、前日買ったけど、駅弁を発見したため残っていたパンと飲み物で朝食。

  アンパンは、パッケージのようにはアンがたくさん入っておらず、ちょっと残念。

  7時45分ごろ出発。儒達山(ユダルサン)が8時から上れるらしかったからだ。(本当は、24時間上れるんじゃないかな)

  旅館からの経路は不明で、適当に坂道をあがったら、正解だった。

  左  温泉荘

  右  上がり口への道を発見

  8時ごろ、上がり口に到着。ここまでも急な坂道などがあったが、ここからが本格的にハイキングとなる。

  左  上がり口

  右  階段を上がったところに建っている李舜臣の像  かつては、木浦神社のあったところだ

  上がる途中の風景。

  左  紅葉もところどころで見られた

  右  頂上の近くは延々と階段が続く

 

  1時間近くかかって山頂の展望台に到着。曇っていたが、雲の合間から太陽がのぞいていて、海を照らす。

  山頂は展望台とは別の峰で、ちょっとガクッ、、、でも上りなおしは大変なのでパス。

  上がるのには1時間近くかかったが、降りるのは早い。30分ほどで上がり口の階段まで下りてきた。

  さて、次に向うのは、旧日本領事館。どの方向に進めばいいものかとあたりを見渡すと、すぐ近くの麓に赤レンガの建物を発見。

  これが旧日本領事館に違いないと、その方向に坂道を下りた。 

  この坂道、なかなか凝っていて、階段に木浦の名所を描いている。

  わずか2,3分で、旧日本領事館に着いた。

  左の写真で、坂道を下ったところのすぐ左手に、赤レンガがある。だから、裏口から旧日本領事館に入ったことになる。

  これが旧日本領事館。

  木浦が開港した1897年に日本領事館がここに開設された。そして1900年に赤レンガのこの建物が完成した。

  日韓併合後は、木浦府庁となり、戦後は、木浦市庁、木浦市図書館をへて、現在は、木浦文化院となっている。

  裏手には、奉安殿跡と防空壕それに倉庫らしいものがあった。

  奉安殿跡はこの解説板があるだけで、その跡をうかがわせるものは何も残っていない。

  その傍らには倉庫らしき建物があった。(奉安殿跡付近から撮影)但し、日本統治時代のものかどうかは不明。

  日曜は内部には入れなかったので、また訪問しようと思う。

  少し離れたところに、国道1,2号線起点の標識。1号線は板門店、2号線は釜山までの路線だ。

  次に行ったのは、旧東洋拓殖木浦支店。現在は、木浦近代歴史館になっている。

  東洋拓殖は、「日帝が朝鮮経済を支配することを目的」としてつくられた国策会社で、移民と開拓を業務としたが、その後、地主として土地支配をし、金融業もおこなった。また、満州や南方でも業務を行った。

  釜山でも、東洋拓殖の支店が近代歴史館として利用されているが、木浦も同じように利用されている。 

  1階は、日本統治時代の木浦に関する写真、2階は、同じく朝鮮全体の写真が展示の中心。日帝が朝鮮を支配して、いかにひどいことをしたか強調する内容である。

  木浦は、日本統治時代には、朝鮮各地の米を内地に送るための港として栄えた。

  そのため、木浦には、日本人が多く住んでいて、日本式の家屋が今でも多く残っている。

  旧日本領事館から港にかけてのエリアに日本式の家屋らしき建物がいくつも残っていた。ただし、みな老朽化していて、今後どうなるかわからない。 

  

  海岸まで歩くと、巨大な、木浦国際フェリーターミナルがあった。木浦からは上海行きのフェリーがでているようだ。

  済州島行きのフェリーは別のところから乗るようだ。

  このころから、小雨が降ってきた。しかも、次第にきつくなっていった。

  木浦はまたくるので、残りの訪問予定地は、次回に回しても良いと思うようになった。

 

 

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