2日目前半  内 離 島

 

 明けて2日目。とてもいい天気。快晴に近いような状態だ。もともと石垣は台風の影響がなかったとはいえ、こんなにいい天気になるとは思わなかった。

 泊まっているマンション風のホテルには、ベランダがついている。港の方を望むと、離島桟橋が移動したことがよくわかる。

 画像真中やや左に、新しくできた離島ターミナルと桟橋が見える。左端には、かつての離島桟橋が見える。

 7時より朝食。ポーク、もずくなど地元の素材を使っているのがうれしい。ご飯、味噌汁、飲み物だけがセルフサービスで、おかず類は各自の席まで運んでくれる。

 宿泊費、離島ターミナルに近いロケーション、洗濯機や電子レンジが部屋にあることも考えあわせて好感のもてるホテルだ。八重山にはまだ行きたい離島がいろいろとあるので、石垣には必ず泊まることになるだろう。そうしたとき、また泊まってみたいホテルだ。

 8時前に離島ターミナルに向かう。この日は、西表島の船浮集落を訪問するのだが、今回は自力で回るのではなく、平田観光の1日ツアーを利用する。

 ツアーでは、公共機関を使って行けない内離島の炭鉱跡や、船でしか近づけない水落の滝なども訪問するからだ。

 観光会社や船会社のカウンターは、エアコンの入ったターミナル内に並んでいて、以前の桟橋前の道路に店舗が並んでいたころよりも利用しやすくなっている。

 以前と違って、出発案内をわかりやすくおこなっている。また、このターミナルは、2007年1月31日から使われていることも判明。

 乗船するのは、八重山観光フェリーのサザンクロス5号。 この船会社は、平田観光系列の会社のようで、平田観光のツアーは、八重山観光フェリーを使う。

 八重山エリアの船会社は、八重山観光フェリーと安永観光が大きく、船やツアーの競争が激しそうだ。新ターミナルができたときに、石垣ドリーム観光という新しい船会社も参入した。こちらの会社は、先発2社に比べて、便数が少ないのだが、一度使ってみたいものだ。  
 

 天気は晴れでも、波はひどかった。すさまじい揺れ具合。波に乗り上げては、下にドスンと落ちるのが繰り返される。 まさにジェットコースター気分。あちこちで、悲鳴も、、

 西表島の上原まで、普段なら35分ほどなのが、この日は50分かかった。 

 上原港からはバス。このバスには、船浮コースの客以外に、浦内川の滝のコースやカヌーのコースの客も乗車していて満席に近かった。しかし、浦内川でほとんどの客は下車し、船浮コースの客12人だけが、さらに奥地へ進んだ
 

 ドライバーの話だと、西表では台風の影響は一切なかったらしい。でも、波はきつくて、上原行きの船は欠航になり、大原に入港するものと思っていたとのこと。

 バスは、以前行ったことがある祖内集落に入る。見覚えがある村を通り、トンネルを抜けると、自動車道路の終点である白浜。

 ここで、「ちむどんどん号」なる船に乗船。「ちむどんどん」とは、胸がドキドキするという意味の八重山方言らしい。

 最初に、内離島へ。白浜集落から1kmほどしか離れていない。ここは、かつて炭鉱があったところで、その見学のために立ち寄ったのだ。今は、無人島。

   

 炭鉱跡まで少し歩く。途中、ガイドがいろいろと説明してくれる。楽しい口調で、ときどき笑いも誘われる。たまにはこういうのもいいなぁって感じ。右は、琉球いのしし。
 
 何年か前の台風で倒された巨木。倒れたままになっていて、乗りこえていく。

 

 

 

  

 食用になるオオタニワタリ。こんなものなのか。
 
 炭鉱で使われていたトロッコのレールの破片。ふと、気付いたのだが、レールのそばには石炭が1つ、2つ、、ほかにも、歩いたコースの途中には石炭がたくさんころがっていた。

 

    

 炭鉱の坑口。人間はかがんで入るか、トロッコに座って乗って入るかしないと入れないくらい小さい入口だ。坑内での過酷な状況を思い浮かべた。
 

 ガイドの説明の要点をまとめると、、

 島にやってきた人は、いい働き口があると騙されてきた人。いったん島に入れば、島から出ることは不可能。白浜集落にも行けない。給与は炭鉱切符(左画像)で支払われ、この島の売店でだけ通用したという。

 中には刑務所に入るために犯罪をわざと犯す人もいた。刑務所に入れば、何年か後に自由になるが、島にいればずっと不自由なままだから。

 
 

 内離島は島じゅうに炭鉱があったようだ。今は、ジャングルの島になっているが、炭鉱のあった当時はどんな様子だったのだろう。

 残念ながら、この島のほとんどは公開されていない。また、整備もされていない。できれば、整備、公開して、歴史の断面を広く知らせてほしいものだ。

 なお、船を下りたのは、図の真中の「司令部」のあたり、見学した坑口は、「司令部」の少し下の黒いところ。

 共同風呂跡。手前が浴槽で立って入浴したという。湯ではなく、冷水。石に穴があるが、向こう側にタンクがあり、水が送られてきた。

 

 

  

   

 飲料水のタンク跡。想像するのが難しいような姿になっている。
 
 船に戻ると、今は海中に没しているところに、かつての桟橋があったと、言われた。

 左の画像の、真中あたり、水中に少し黒い細長いものが見えるが、これはレール。

 う〜む、この島にたくさんの炭鉱があり、何千人もいたといっても、にわかには信じられない感じの今の島の様子。
 
 さらに、旧日本軍の特攻艇の基地。保管庫っても、外から丸見え。杭の立っているところと、海岸そばの浅くなっているところの間に艇を入れたという。なお、ここから特攻艇が出撃することはなかったという。

  

 特攻艇「震洋」。船の客席の上に掲示されていたものを撮影。今回も、現艇がどこかで見られるのかと思ったが見られなかった。どこか他の展示施設で見られるのだろう。
 
 西表島のほうに戻るが、白浜集落よりは南のほうの海岸だ。

 ここは、かつて石炭を輸出するのに使っていた桟橋の跡だ。ガイドの説明がなければ、ただの岩にしか見えない。

 また、輸出港であったので、税関もおかれていたという。

 船浮湾には、大きなブイがたくさん浮かんでいる。台風などのさいに船をつなげるのだそうだ。

 船浮湾は、細長く入り込んだ入江で、波が穏やかで、国際避難港に指定されているという。

 避難港とは、人の乗降や荷物の積み下ろしをせず、避難のためにだけ使われる港だ。ただ、最近は、台風などの情報を得やすいので、外国船は早めに一般の港に入港し、船浮湾で外国船はあまり見かけないという。

 湾をどんどん入っていく。どこからが川なのかはっきりわからないうちに、海から川に入っていた。川といっても、このあたりは海水だ。

 両側はマングローブが生えている。マングローブとは、満潮になると海水が満ちてくる潮間帯に生えている植物の総称であり、特定の植物名ではない。

 だから、よく見るといくつかの違った樹木が水につかった姿で見られる。

 水落の滝。

 船で行き着けるところの最後のところに水落の滝がある。

 こんなところに滝が! 轟音をあげて水が滝つぼに落ちている。秘境中の秘境という感じのところだ。

 いよいよ船浮集落へ。

 その手前で、真珠の養殖場を眺めた。

  

 
 旧日本軍の要塞の開口部。ここから、米軍のグラマン機を撃墜したという。
 

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