2日目前半 内 離 島
![]() 泊まっているマンション風のホテルには、ベランダがついている。港の方を望むと、離島桟橋が移動したことがよくわかる。 画像真中やや左に、新しくできた離島ターミナルと桟橋が見える。左端には、かつての離島桟橋が見える。 |
7時より朝食。ポーク、もずくなど地元の素材を使っているのがうれしい。ご飯、味噌汁、飲み物だけがセルフサービスで、おかず類は各自の席まで運んでくれる。 宿泊費、離島ターミナルに近いロケーション、洗濯機や電子レンジが部屋にあることも考えあわせて好感のもてるホテルだ。八重山にはまだ行きたい離島がいろいろとあるので、石垣には必ず泊まることになるだろう。そうしたとき、また泊まってみたいホテルだ。 |
![]() ツアーでは、公共機関を使って行けない内離島の炭鉱跡や、船でしか近づけない水落の滝なども訪問するからだ。 観光会社や船会社のカウンターは、エアコンの入ったターミナル内に並んでいて、以前の桟橋前の道路に店舗が並んでいたころよりも利用しやすくなっている。 |
以前と違って、出発案内をわかりやすくおこなっている。また、このターミナルは、2007年1月31日から使われていることも判明。 乗船するのは、八重山観光フェリーのサザンクロス5号。 この船会社は、平田観光系列の会社のようで、平田観光のツアーは、八重山観光フェリーを使う。 |
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天気は晴れでも、波はひどかった。すさまじい揺れ具合。波に乗り上げては、下にドスンと落ちるのが繰り返される。 まさにジェットコースター気分。あちこちで、悲鳴も、、 西表島の上原まで、普段なら35分ほどなのが、この日は50分かかった。 。 |
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ドライバーの話だと、西表では台風の影響は一切なかったらしい。でも、波はきつくて、上原行きの船は欠航になり、大原に入港するものと思っていたとのこと。 バスは、以前行ったことがある祖内集落に入る。見覚えがある村を通り、トンネルを抜けると、自動車道路の終点である白浜。 ここで、「ちむどんどん号」なる船に乗船。「ちむどんどん」とは、胸がドキドキするという意味の八重山方言らしい。 |
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![]() ガイドの説明の要点をまとめると、、 島にやってきた人は、いい働き口があると騙されてきた人。いったん島に入れば、島から出ることは不可能。白浜集落にも行けない。給与は炭鉱切符(左画像)で支払われ、この島の売店でだけ通用したという。 中には刑務所に入るために犯罪をわざと犯す人もいた。刑務所に入れば、何年か後に自由になるが、島にいればずっと不自由なままだから。 |
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内離島は島じゅうに炭鉱があったようだ。今は、ジャングルの島になっているが、炭鉱のあった当時はどんな様子だったのだろう。 残念ながら、この島のほとんどは公開されていない。また、整備もされていない。できれば、整備、公開して、歴史の断面を広く知らせてほしいものだ。 なお、船を下りたのは、図の真中の「司令部」のあたり、見学した坑口は、「司令部」の少し下の黒いところ。 |
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![]() 左の画像の、真中あたり、水中に少し黒い細長いものが見えるが、これはレール。 |
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![]() ここは、かつて石炭を輸出するのに使っていた桟橋の跡だ。ガイドの説明がなければ、ただの岩にしか見えない。 また、輸出港であったので、税関もおかれていたという。 |
船浮湾には、大きなブイがたくさん浮かんでいる。台風などのさいに船をつなげるのだそうだ。 船浮湾は、細長く入り込んだ入江で、波が穏やかで、国際避難港に指定されているという。 避難港とは、人の乗降や荷物の積み下ろしをせず、避難のためにだけ使われる港だ。ただ、最近は、台風などの情報を得やすいので、外国船は早めに一般の港に入港し、船浮湾で外国船はあまり見かけないという。 |
![]() 両側はマングローブが生えている。マングローブとは、満潮になると海水が満ちてくる潮間帯に生えている植物の総称であり、特定の植物名ではない。 だから、よく見るといくつかの違った樹木が水につかった姿で見られる。 |
水落の滝。 船で行き着けるところの最後のところに水落の滝がある。 こんなところに滝が! 轟音をあげて水が滝つぼに落ちている。秘境中の秘境という感じのところだ。 |
![]() その手前で、真珠の養殖場を眺めた。
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