2日目後半  西 表 の 船 浮 集 落

 

 船浮集落に到着。このあと集落内の散策と昼食だ。 

 最初に、港よりも南側にある日本軍の要塞跡と真珠養殖施設を見て回るとのこと。その後、昼食で、食事後、港の北側へ。

  

 日本軍の要塞基地として使われたトンネル。内部には明かりがないが、何とか懐中電灯なしで歩ける程度。ひんやりしていて気持ちがいい。

 このトンネルは海岸と並行するものだが、トンネルの支線があって、海岸に達している。2日目前半の最後に、米軍機を撃ち落としたというところは、支線のトンネルが海岸に出るところである。

 現在、支線のトンネルには入れないように、板がたててある。

  
 トンネルの反対側の入口。

 

 

 

 トンネルを抜けたところ。海は船浮湾。

 
 
 特攻艇の格納庫。 このほか、弾薬庫も残っていた。

 

 

 

   

 

 発電室。ここは1980年代まで使われていた。深夜は発電が中止されていたので、冷蔵庫などは使えなかった。
 
 次に、琉球真珠の養殖施設を見学。

 琉球真珠は、川平湾にメインの養殖場を持つが、船浮にももっている。1951年に創業したが、当初は経営がはかばかしくなく、1970年ごろに軌道にのってきたらしい。

 1980年、世界初の黒蝶貝の真珠養殖に成功。また1984年に国内初の白蝶貝の真珠養殖に成功し、名前を知られるようになった。

  

 2000年の沖縄サミットで首脳夫人への公式プレゼントに、琉球真珠の黒蝶貝の真珠が選ばれたという。

 右は、貝のえさになるプランクトンを増殖させているところ。

 昼食は港の前の「ふねっちゃーぬ家」で「昔ごはん船浮三昧」。

 竹の容器に入ったメインはクチのから揚げ。ゴーヤと紅芋の天ぷらも添えられている。ほかに筍とわかめの和え物、もずく、パパイヤチャンプル、アーサ汁、シークヮーサーのゼリー、おにぎり。それにハイビスカスが添えられている。

 これがまた美味しかったのだ。個人でこの店に行ってもいただくことができる。  

 さて、食事が終わり、船浮集落をまだまだ見て歩くのだが、このあとは、”三郎おじい”とよばれる70歳くらいの小太りの男性が案内する。三線を持って、浴衣姿である。

 かまどま之碑。”かまどま”は女性の名。かつて、祖納から派遣された役人と恋仲に落ちたが、やがて役人の任期が終わり、別れた、、、といったような話だったが、、詳しくは忘れてしまった。

 この碑の前の広場で、三線にあわせての踊りの講習会。手と足の連動がきわめて難しい。10分ほど客が輪になって回った。

 イリオモテヤマネコは、1967年に新種として報告された。それまでは、従来から知られているヤマネコなのかはっきりしていなかったのだ。1975年にこの地で、民家の裏庭で鶏を襲っているところを捕まえられたという。

  

 
 
 船浮小中学校。生徒は3人(小学生2人、中学生1人)で、教員が6人、その他の職員が4人だという。

 船浮集落全体の人口が50人ほどだというから、生徒数が少ないのは予想できる。船で移動する集落ゆえに、統廃合もできないのだろう。

 

 次に、船浮資料館へ。いろいろと展示されていたのだが、何しろ暑くて、中にいるのがつらくてすぐに外に出たって感じ。

 ここで連絡が入り、上原から帰りの船が欠航になり、大原発を使うのだという。それで、船浮の滞在時間が1時間ほど減るとのこと。

 
  

 

 

 

 

 

 集落のいろんなところでハイビスカスは咲いている。右は、パパイヤの実と花。

 
 イダの浜。ここには13時40分に着き、港を船が14時40分に出るという。その間はフリータイム。

 もともとは15時30分の出発だったようで、自分としては、早めに出発できるほうがうれしい。

 だが、この浜で海水浴を期待していた客にとっては、着替えなどを考えると、30分ほどの時間しかなくなり、残念だったことだろう。

 

 

 

 

 

 

 浜にいても仕方なく、来た道を引きかえした。途中、長らく使われきて井戸、密かに訪問した東郷大将の上陸地を示す看板などがあった。

 
 30分以上間があったので「ふねっちゃーぬ家」でマンゴージュースを飲んで休憩。

   

  

 
 やがて時間になり、船浮集落を離れる。帰りは、定期船をチャーター利用だ。
 
  15分ほどで白浜集落に戻ってきた。左は、白浜集落。遠くに学校が見える。ここでバスがやってくるのを少し待った。バスがくるまでの間、三郎おじいがいろいろ話をしてくれた。

  おじいは、船浮の生まれで、子供のときには、船浮から白浜まで何度か歩いたこともあるという。朝出て、夕方に着いたとのこと。道はないので、ジャングルの中を歩いてだ。それから、イリオモテヤマネコが天然記念物になる前は、食べたこともあると。  

 港まで行くまでに、星砂の浜を見学。ここは西表島の北部にあり、きれいな海岸で有名。

 

 

  

 
 星の形をした砂がわかるだろう。
 

 星砂の浜は、上原港からは10分ほどだが、大原港までは、延々1時間かかる。その間、客はみな睡眠タイム。自分ももちろん、お休み。

 大原発17時30分の船なのだが、20分ほど出発が遅れた。平田観光のほかのツアーのバスが、これまたこの船で帰るのだが、バスが遅れたためだ。この船が石垣に戻る最終便なのでやむを得ない。

 18時30分石垣帰着。港では、三郎おじいにお別れを言って10時間のツアーも終わり。 

 石垣到着後、まず向かったのは、モンテドール。本店は宮古にあるのだが、石垣にも店を出している。

 宮古に行ったときも土産のバナナケーキの評判がとてもよく、今回も、バナナケーキを買うことにした。石垣にも工場があり、石垣で売っているものは石垣で作っているようだ。

 1万円以上なら宅配料金の無料サービスがあるので、1万円を少し越える程度に、ほかの土産も購入。石垣、宮古の土産は当分、この店のものになりそうだ。

 夕食をとる店の近くにある竹富町役場があり、玄関を撮影。

 竹富町の役場は、竹富島ではなく、石垣港の近くにあるのだ。そりゃ、そのほうが便利だ。

 石垣市、与那国町の範囲以外の八重山諸島の全域が竹富町だ。島の人口や面積、知名度どれをとっても、西表のほうがまさっているのに、竹富町であるのは、歴史的に八重山の中心になる役所が竹富島に置かれてきたということによるらしい。

 この日の夕食は、港にほど近い「さつき」でとった。もともとは地元客向けの店のようで、値段がやや安めになっているのがうれしい。客は、地元客と観光客が半々程度か。

 左、刺身盛り合わせ。

 下左、八重山かまぼこ三種盛り合わせ。

 下右、天ぷら盛り合わせ。

 最後に寿司を注文。

 右、石垣牛のにぎり。

 右下、タカセ貝のにぎり。

 おおいに食べて大満足。石垣にきたときには、またやってきたい店だ。

 このあと、この店の近くのネットカフェで少し遊んだあと、ホテルに帰り、一日が終了。

 

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