3日目後半  日本最西端、与那国到達

 

 さぁ、今回の旅のメインイベントの与那国島。

 与那国空港は海岸の平坦なところにあり、歩いてターミナルに向かう。このときは、とてもいい天気で、まさか台風が発生しているなんて夢にも思わなかった。

 与那国島には、祖納、久部良、比川の3集落があり、うち前の2つが大きな集落だ。この2つは島の北部にあるのだが、空港はこの2つの集落の中間に位置している。

  

 今回、まず、島の南側にある海底遺跡を見学するために、ジャックスドルフィン号に乗船する。事前に予約してある。

 空港にスタッフが出迎えに来ていて、車で久部良港へまず向かう。この港は、島の西北の端にあるが、海底遺跡のある新川鼻は島の東南の端にある。なお、新川鼻へ陸路で行くことはできない。

 この船は、海底を眺められるものだが、グラスボートが船底から眺めるのに対して、この船は、海面下の部分の船腹に窓があり、そこから眺めるようになっていて、グラスボートより見やすい。

 空港からは自分だけだったが、宿に寄って拾った人と港に来ていた人をあわせて4人で出発。三十数人乗りのところ、ちょっとぜいたくだが、何しろ6000円の船旅だから、ちょうどいいのかも。

 久部良港に停泊していた、フェリー「よなぐに」。与那国と石垣を結ぶフェリーは週2往復で、主な足は飛行機だ。

 その飛行機も、那覇便が週4日運航で1往復、石垣便が毎日運航のものが1往復、それに週4日運航のものが1往復と、便数は少ないので、訪問のスケジュールを考えるのが難しい島だ。

 
 
 左は、久部良港の出入り口にあたる西崎(いりざき)。この岬が日本最西端なので、あとで陸路で行ってみる予定だ。

 西を「いり」と読むが、東は「あがり」と読み、翌日行く予定の島の東端の岬は、東崎(あがりざき)という。太陽が上がる、入るというところからきている言い方だろう。

 立って写真を撮っていたが、次第に揺れが激しくなってきた。

 

 この日は、北風が激しく、久部良港を出てしばらくがひどい揺れになると事前に教えられていたが、まさにその通りであった。

 右は、西崎を、西側から撮影したもの。まさに、日本最西端の陸地だ。絶壁になっていりことがわかる。

 日によっては、南風が吹くので、その日は、西崎から海底遺跡までずっとの間、揺れが激しくなるという。あぁ、北風でよかった。

 船から島をずっと見続けたが、台地状の土地が続き、海岸は絶壁になっている部分が多い。人を寄せ付けない感じの島だ。

 

  

 40分ほどで海底遺跡の上に到着。

 ここで、船の下の部屋に行って、窓から遺跡をのぞいた。階段状の石などは人力によるものかどうか、自分には判断できない。

 
 果たして遺跡なのか、自然の力によるものなのか、よくわからないまま10分間ほど、何周かして見学。

 ダイバーなら潜って見学することもできる。もともと、ダイビングの場所探しをしていた人がここを発見したらしい。

 左の画像で陸地の先端部から10〜20mほどのあたりの海底に、謎のエリアがある。

 再び、久部良港に戻り、泊まる民宿のさきはら荘まで送ってもらった。

 さきはら荘は、比較的部屋数の多い民宿で、バス・トイレは共用だが、きれいで気持ちよかった。

 さきはら荘で、翌日の車の手配を頼んだら、何と、タクシーが今はないという。というのは、今までのタクシー会社が営業を他社に譲ることになったのだが、その手続きの過程でいろいろ問題がでてきて、新しいタクシー会社がまだ、営業をはじめていないのだという。

 それで、知り合いの人に電話をしてくれて車を確保できた。

 さらに、この日、乗車する予定であるバスも、タクシー会社が運行していたのだが、これも、タクシーと一緒に他社に譲られることになったものの、まだ営業をはじめていないという。

 でも、バスは町民にも必要なので、当分の間、町がバスを無料で運行しているという。無料バスに乗れることがわかり、うれしかった。

 バスの本数は1日に7便なので、しばらく部屋で休んでから、バス停へ出かけた。

 右は、祖納のバス停の時刻表。ここで、しばらく待ち、15時15分発のバスに乗る。

  

  

 待っている途中、飛行機が頭上を飛んでいった。
 

 やってきたバスは大型ワゴン車。

 フロントガラスの上部には「バス代行 祖納、久部良、比川」と書かれている。また、側面と後部には「バス代行車」と書かれている。

 また、運転手横のドアには「よなぐに町」と書かれているので、町の車で運行しているのだろう。

 運転手に、どこまで乗るか聞かれ、久部良と答えると、紙に乗降地を記入していた。念のため料金を聞くと、やはり無料。

 バス内の時刻表。時間は正確に運行されている。

、久部良に到着したバス。2人の地元客も乗っていたが、何も言わなくても、乗降地を記入していた。

 

 久部良到着後、まず向かったのは、「ユキさんち」。カレー屋として有名なようで、日替わりカレーは、ゴーヤカレーだった。

 

 
 店内は落ち着いたいい感じの店だった。カレーを食べると、もう15時45分。これから、西崎とクブラバリに行って、17時35分のバスで祖納に戻る。
 
 西崎へは1.5kmほど。

 途中、ナーマ浜がある。沖合いに見えるのが、ジャックスドルフィン号に乗った埠頭のあるあたり。

 この浜を過ぎたあたりから、次第に上り坂になってくる。カレーに島とうがらしをたっぷりかけて食べた直後なので、汗が滝のように出てくる。

 意外と早く西崎の灯台に到着。日本最西端の灯台である。

  

 

 

 

 展望台からは、台湾側はうまく望めないが、久部良港をよく見渡すことができる。

  

 最西端の碑。ようやく、はるばるやってきたって感じを持つ。

 石垣までは117kmであるのに対して、台湾までは111km。石垣より台湾のほうが近いことをはじめて知った。また、マニラは東京の半分ほどの距離とか興味深い。

 

 天気が良いと台湾が望めるという。

 この日は、ほぼ快晴であった。それで、左の画像で、沖合いに見える灰色の線が台湾の陸地だと思った。

 だが、これは単なる海上の影らしい。翌朝の朝食時に他の客と話をしていて教えてもらった。台湾が見えるときは、もっと高い位置に見えるのだという。そりゃ、3000m級の山脈があるのだから。

 西崎をあとに、いったん久部良の集落に戻り、クブラバリに向かう。

 島一周の道路と西崎からの道が合流するあたりにテキサスゲートがあった。馬が牧場から逃げ出すのを防ぐための仕組みらしい。

 馬は、うまくこのゲートを越えられないのだという。なかなか信じられなかったが、自分で歩いてみて、人間が歩いても危ないものだとわかった。

 クブラバリの位置は案内板がなく見つけにくかった。最初は、間違って、「日本最後の夕日が見える丘」に着いてしまった。

 

 

 ここからの夕日はきれいだろうなとは思ったがが、先を急いだ。

 右は、この丘から見た西崎。

 

 ようやく、クブラバリに到着。琉球王朝時代に、妊婦にこの隙間を飛ばせたという言い伝えがある。本当かどうか疑わしいが、何となく気味の悪い場所ではあった。

 

  

 クブラバリ近くの海岸。岩石海岸で大きな波が打ち寄せていた。
 

 なんとか、バスの出発時間の15分くらい前にバス停に到着。

 左は、久部良バス停付近の様子。

 

  

 

 久部良バス停の時刻表は消えかかっていた。最終便である17時35分は島の南の比川経由。

 この日、最後の訪問地は、ティンダハナタ。

 左の岩山で、電柱の先端の左に黒い部分が見える。ここは岩肌がくりぬかれたようになっている。ここが、ティンダハナタで、眺めがよいというので行ってみた。

 下左は、岩肌のくりぬかれた展望台。

 下右は、そこからの祖納集落。

 ティンダハナタから下りてナン タ浜に行った。

 きれいなビーチだ。日没が近かったので、ここで夕日を見ることにした。

 ほとんど快晴の日だったが、このころに雲がでてきて、きれいな夕日は見られなかった。

 この日は日曜日。与那国の民宿では、日曜日の夕食は出さないことになっているようだ。それで、外食。ビアガーデン国境(はて)でヤシガニ のフルコースを試してみた。

  カジキの刺身、カジキのから揚げ

  ヤシガニのみそいりのおじや

  ヤシガニのみその寿司

  ヤシガニの姿蒸し

  長命草とヤシガニのみそのざるそば

 

 

 さて、夕食を終え、宿に戻ってから、急に落ち込んでしまった。台風が発生していたのだ。そして、翌日の夜には、石垣、与那国方面にやってきそうだということ。 なんと足の速いこと。それに、3日前に台風が沖縄へやってきたばかりというのに、、さぁ、困った。無事に帰ることができるだろうか。

 

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