南 大 東 の 西 部

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 北大東空港のRAC(琉球エアコミューター)カウンターで南大東行きのチェックイン。出されたのは電子発券ではなく、いまどき他の路線ではお目にかかれない厚紙にスタンプを押しやシールを貼ったタイプのもの。

 北大東と南大東の間は最短部で10kmほど離れているが、空港間では20kmほどの距離がある。これは日本ではもちろん、世界でも最も短い距離の航空路線ではないかと言われている。

 月金土日は那覇・北大東・南大東・那覇と飛び、火水木は那覇・南大東・北大東・那覇と飛んでいるようだ。このほかに那覇・南大東を往復している便がある。
 小さな待合室で待ったあと、歩いて飛行機に向かう。

 離陸したと思えば、すぐに着陸で飛行時間は8分ほど。待っている時間のほうが圧倒的に長かった。

 北大東村の人口は700人であったのに対し、南大東村の人口は1400人。また、南大東島地方気象台があり、北大東から南大東に行くとちょっと都会に行くようなイメージがある。実際、街が少し大きく、北大東と比べてちょっとした街だなと思った。

 上左  南大東空港に到着。歩いてター ミナルビルに向かう。

 上右  空港にはホテルの送迎の車が出迎えていた。

 左  南大東での泊まりは「よしざと」。

 左  客室内

 少し休んだあと、島の探検に出発。すでに夕方で、1時間余りで帰ってこられるコースとして島の西のほうに行くことにした。

 下左  島で一箇所の信号。北大東島の場合と同じく交通安全教育のために設置。

 下右  信号のそばには南大東小中学校。

 左  由来はよくわからないが、3体のお地蔵さんが並んでいるところがある。

 下左  上陸記念碑。どうして3本の柱なのだろうか。

 下右  西港。クレーンは船への荷物の積み込み、船からの荷物の積み下ろしのためのもの。人間もカゴに入れて積み込み、積み下ろしを行う。岸壁の高さは10m以上あり、かなり高い。ぜひ体験してみたいものなのだが、船の運航日程が不定期とあってはなかなか難しい。

 何も見えない大海原。

 下左  荷物の積み込み、積み下ろしに使われるカゴ。一番手前のカゴは人間の乗り降りのためのもの。

 下右  西港近くに広がるミレニアムパーク。

 ミレニアムパークの中にあった開拓百周年記念碑。

 この島の開拓は1900年に始まった。最初の開拓事業主は、碑の左側にある銅像である玉置半右衛門。彼は八丈島出身者による開拓団でさとうきび栽培を手がけ成功する。その後さときび栽培は会社経営化される。最終的には大日本精糖となる。島全体が会社のものとされた。島は住み込み労働者という感じ。郵便局、学校も会社経営。戦後、米軍の占領によって、会社所有でなくなり、1964年に農民の土地所有が確認される。

 上左  西港近くの金比羅宮

 上右  こうもり公園というキャンプ場があり、そこのトイレはこうもりが首を出している。

 南大東島にはさとうきびを運搬するためのトロッコが島の中を縦横に走っていた。1983年の収穫期を最後に廃止された。 今は廃線跡と保存車両がそのなごりをとどめるだけである。

 両側をフクギの並木が並ぶ廃線跡。今はフロンティアロードという名のサイクリングロードになっている。

 廃線跡が一般道路と交差するところ。
 これも廃線跡。上の一般道路との交差を渡った反対側である。前方に見える建物は南大東島地方気象台。
 ふるさと文化センターのそばに屋根つきのトロッコ車両の保存施設がある。

 上左  蒸気機関車

 上右  ディーゼル機関車

 左  貨車

 こちらは客車。

 南大東島は路線バスなどはないので、観光客にとっては不便な島である。トロッコを観光用に復活させれば喜ばれるのではないだろうか。

 上左  南大東村役場

 上右  JA南大東のスーパーマーケット

 左  かつてトロッコの車庫であった石造りの建物。

 ホテルに戻り2日目終了。

 夕食をいただく。

 

 

2へ  北大東島・南大東島のトップ  ユーラシア紀行のトップ   4へ