8 プ ー ノ
ゆっくり朝食をとった後、7時30分にプーノ市内の散歩に出かけた。シユスタニ遺跡への車は11時に迎えにくることになっているので、十分に時間がある。まずは、ホテル近くのビューポイントへ。プーノ市内はかなり坂道がある。傾斜地にできた町だ。5分ほどで、アーチに到着。このあたりにビューポイントがあるはずだが、と思って探すと、公園への入口があって、公園の中に高台があった。朝日にチチカカ湖が輝いている。 プーノ市街。南の方を見ると、山の中腹に何かがある、どうもモニュメントらしいものがある。そしてそこへは長い階段があることも判明。何だろうかと思い、そこへ行ってみることにした。画像中、←のところだ。 高台の下のアーチ。撮影している場所の右手に高台への入口がある。 プーノの中心部を歩いて、なぞ?のモニュメントに向かう。途中、自転車の前に座席をつけた三輪車によくであった。通勤のために使っている人も多い。 階段の下まで1時間ほど歩いた。下までやってくると、モニュメントはコンドルだとわかった。それにしても、長い階段だ。 上まで30分かかった。全部で615段。あ〜ぁ、疲れた。コンドルの土台を見ると、2003年11月に作られたものとわかった。まだ新しいものだ。 チチカカ湖の眺めもすばらしい。 階段を下りて、プーノの中心のアルマス広場へ。広場に面しているカテドラルに入った。天井ははめこみガラスになっているようで明るいカテドラルだった。 続いて中央市場へ。食料品は1階、日用品や衣類は2階。市場も天井にはめこみガラスがあって、明るかった。 市場の中でもフォルクローレを演奏していた。 市場をでて、11時少し前にホテルに戻った。すでに、車が待っていた。そして、何とガイドつき。もともと、シユスタニ遺跡へは混載のツアーを申し込んだが、ナオツールより車手配に変わったと言われたが、ガイドはつかないと言われていた。同じ料金なら、ガイドつきはありがたいことだ。 すぐに、シユスタニ遺跡に向かって出発。車の中で、ガイドは先住民であると紹介し、シユスタニ遺跡の概要や現地の伝説について話してくれた。 フジモリ前大統領についての話もあった。彼は、教育に力を入れ、新しい学校を大量に作ったという。車の中から、あの学校はフジモリが建てたと指差して言われたのもあった。また、彼は農村の道路や電気の整備に力を入れ、農村を豊かにすることにも力を入れたという。そして、フジモリの復活を願う声がかなりあるという。実際、Fujimoriという語を含んだスローガン(スペイン語のためよくわからなかった)が壁に書かれているのも目撃した。 45分ほどで、シユスタニ遺跡に到着。遺跡は小高い丘の上にあり、駐車場から坂道を上がっていく。ここの遺跡は、保存状態のよいものはインカ時代のものだが、大部分のものはプレインカ時代のものだという。 シユスタニ遺跡は、墓の遺跡である。円筒形をした墓(チュルパ)がたくさんあるが、宮殿や民家の跡はないので、クスコ周辺の遺跡に比べると、見劣りがする。しかも完全な形で残っているチュルパは少ないので、期待はずれだった。プーノの観光ではチチカカ湖を欠くことはできないと思うが、シユスタニ遺跡は時間がなければはずしてもいいと思う。 きれいな形のチュルパがあったが、裏側は崩れていた。チュルパの多くは、インカ以前のものだが、このチュルパはインカ時代のものだという。 このチュルパには、とかげの彫刻が残っていた。 この遺跡は、ウマヨ湖の外輪山の上にある。ウマヨ湖は静寂そのもので、水は真っ青。しばらく湖をながめていた。シルスタニでは、遺跡そのものよりも、ウマヨ湖がすばらしかった。 プーノに戻る途中で先住民の民家を訪問した。出迎えてくれたのは、アルパカ。ガイドは、こっちがアルパカで、こっちがリャマだというが、どう違うのかよくわからない。アルパカのほうが、やや小さいことが唯一の違いのようだが、、 シユスタニ遺跡の帰りに民家を訪問するのがお決まりのようになっているのか、ガイドは、次々と家の中を説明していった。この家の場合は、リャマ、アルパカ、クイの飼育、じゃがいも、とうもろこしなどの栽培、アルパカの毛などを使った織物で生計をたてているようだ。住居の中も見たが、とても質素な感じで、ベッド以外には大きなものはなかった。 左は収穫した野菜類。右はヘビを漬けたもので薬になるらしい。 食用ネズミのクイ。体長30cmくらい。前夜は、これを食べたんだなぁ〜。 プーノのバスターミナルに着いたのは13時過ぎ。アレキパ行きのバスは15時発なので、時間がかなりある。切符売場などは会社別になっているので、ある行き先のバスで一番早く出発するのはどのバスかとかはわかりにくい。実は、いろいろな会社のブースを見ていたら、14時30分発のアレキパ行きのバスもあった。旅行社は、ひいきにしているバス会社の切符を用意して、自分に渡したのだろう。 ペルーの大きなバスターミナルでは、予約された切符を持っている場合でも、切符売場でチェックインする。そのさいパスポートを見せる。さらにバスターミナル利用料金を専用のブースで支払うようになっている。料金は1ソルだった。ターミナル内のトイレを利用する場合、利用料金のチケットを提示すると、スタンプが押されて無料でトイレに入れる。 バスターミナル内で昼食。カウラウと得体の知れない赤色の飲みもの。カウラウは野菜とチキンの内臓を細かくぶつぎりにして煮たものをライスにかけたものだった。赤色の飲み物は、少し甘みのあるジュースだが何かわかからない。あわせて3.5ソ ーレス(約120円)。 15時が近づいてきたので、バスに乗車。パスポートの提示も求められ、切符の名前と照合していた。まだ発車前のこと、自分は通路側だったが、隣の窓側に座っていた女性の頭上に突然、水がたれ落ちてきた。自分にも少し水がかかった。びっくりした女性の悲鳴。係員がやってきて、棚の中を調べたりしたが、原因はよくわからない。座席や棚をふいたりしているうちに発車時間をオーバー。女性はうしろの空席にまわり、発車。 発車後、まもなく、サンドイッチと飲み物のサービス。飲み物は、コーヒー、紅茶、インカコーラ、水から選ぶようになっていて、残念ながらコカ茶はなかった。で、インカコーラを頼んだ。サンドイッチは、これほど不味いサンドイッチがあるのかといった代物で、半部以上残した。 バスは高原地帯をひた走った。途中、標高4300mほどの地点も通るようなので、高山病に気をつけないと、、と思っていたが、うつらうつらしている間に最高地点は通過してしまったようだ。窓の外は、湖水地帯のようで美しい風景だが、すでに薄く暗くなっていて、撮影はできなかった。 やがて、ビンゴ大会。全員にビンゴカードが配られ、車掌が読み上げる数字を客が開けていく。残念ながら、スペイン語の数字の読み方がわからず、ほかの客の盛り上がりを横で眺めているしかなかった。優勝者にはお菓子が渡されていた。 20時過ぎにアレキパのバスターミナル着。タクシーでホテルへ直行しようと思ったが、なかなかタクシーが来なかった。15分ほど待って、ようやくタクシーにありついた。バスターミナルの敷地から出る際に、ターミナル内に入るには料金がいることが判明。ほとんどのタクシー利用者はバスターミナルの外で降りるだろうから、外でタクシーを拾えばよかったと思った。アレキパの中心部にあるホテルまで、3ソーレス(約102円)で15分。 ホテルに着くと、何とバスターミナルまで出迎えに行っていたと告げられた。ホテルバウチャーを受け取ったさい、出迎えなしなので、自力でホテルにいってくださいって言われていたので、出迎えを探しもしなかったのだ。すでに21時近いので、部屋に荷物を置いてすぐに、夕食に出かけた。10分ほどで町の中心のアルマス広場に到着。 ロコト・レジェノを注文。赤ピーマンの中に肉が詰まっていて、じゃがいもと卵が添えられている。ボリュームのある食べ物だ。 ホテルに戻り、バス旅の疲れをとるために、シャワーを浴びて、すぐにベッドに入った。
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