1 日 目 後 半

 

ゴールデントライアングル、ラオス領ドンサオ島

 

  タチレイ1時間強の滞在でメーサイに戻った。(左の画像は、タイ側イミグレーションから見たメーサイの街。)まず、ミャンマーのエントリーパーミットを返し、パスポートを受け取る。パスポートには、ミャンマーの出入国印が押されていた。ついで、国境の橋を渡り、タイ側では、通常と同じ入国手続を行う。  

  この日は、スワンナブーム空港でアライバルカードを渡したが、同じ内容を再び書いて、この日2枚目になるアライバルカードを渡してタイ入国。入国便名の欄は空白で渡したが、WALKと書き込まれた。

 

 

  ブースの中の係員が自分のパスポートを他の係員を呼んで見せている。スワンナプームの入国印を指差している。開港3日目だから、ここの係員たちは、初めてスワンナプームの入国印を見たのかも知れない。

  ここの国境を越えてタチレイに行く外国人は、長期旅行でラオスに行く途中立ち寄っていく人や、タイの長期滞在客で30日間のノービザ期間が切れそうになったためにいったん出国する人が多いだろう。だから、開港3日目ではまだスワンナプームから入国した人は、ここの国境で出入国はほとんどしていないと予想される。

  右は今回の旅行で押されたスタンプたち

  メーサイの入国印   チェンライ空港の出国印

  2行目は今回の旅に無関係の中国の出入国印

  タチレイの入国印   スワンナプームの入国印

  メーサイの出国印   タチレイの出国印

  蛇足だが、チェンライ空港の出国印には、メーサイと記されている。チェンライ空港の出入国係員は、メーサイから派遣されているのだろう。

 

  同行の米国人がなかなか戻ってこないので、ガイドとともに気をもんだ。自分よりも少し遅れて国境に着いたのだが、自分のあとで混雑しだしたようだ。

  米国人が戻ってくるのを待って、国境近くのレストランで昼食。ビュッフェ形式で可でもなく不可でもないというところか。暑いので涼めたのはいいのだが、、昼食がツアーに含まれていなかったら、地元客用のレストランでタイの麺類でも食べたはずだ。

 

 

 

  米国人は4週間の日程で、バンコクからスコータイ、チェンマイ、チェンライと北上してきて、このあとラオスに入り、ルアンパバン、ビエンチャンと回り、ラオス南部、タイのイサーン地方をへてバンコクに戻るということだ。

  自分の日程も米国人に話したが、大げさなジェスチャーを交えて、びっくりされた。3日間というのは、短すぎると思われたのだ。

  食事後、車で40分。ゴールデントライアングルを見渡す展望台に到着した。

 

  ゴールデントライアングルは、タイ、ラオス、ミャンマーの3国の領土が接しているエリアをさす言葉だ。かつては、麻薬の生産地であった謎の地帯だった。しかし、今は、リゾート開発も進められ、誰でも立ち入ることができる観光地になっている。

  上の画像で、三角形の形をしている部分がミャンマー、大きな川がメコン川で、その右側と川の中州がラオス、手前がタイである。タイとミャンマーの間には支流の小さい川が流れている。メコン川の色は赤茶色をしている。熱帯特有の赤土を運んでいるためだ。

  このエリアが麻薬の生産拠点であったころから、まだそう年月はたっていない。麻薬王と呼ばれたクンサーは、40年間、ミャンマーで民兵組織を率いて、政府軍と戦闘状態にあった。ミャンマーでは、民主化勢力、山岳民族が政府と対立する関係があるが、10年ほど前までは、麻薬グループとの争いもあったのだ。

  1996年にクンサーはミャンマー政府軍に投降、2004年にヤンゴンで死去し、麻薬グループの勢力は極めて弱体化しているらしい。ただ、一部には、山岳民族と麻薬グループが手を結んで、依然として、人里離れた山中で麻薬生産が小規模ながらも続いているとも言われる。それでも、観光客が足を踏み入れて問題ない平和な状態になっている。

  展望台の次は、オピウム博物館に入った。アヘン吸引の器具や製造の器具、秤などが展示されている。

 

 

 

 

 

  

   右は、アヘン吸引者の人形の展示。

 

  左は、アヘンの原料、ケシの花の造花。

 

 

 

 

 

  右は、アヘンの吸引具。象牙製である。

 

  アヘンにもさまざまなブランドがあった。右は、ブランドのひとつ。

  アヘン以外に、山岳民族についての展示などもあった。

  この博物館とは別に、2004年にオピウムホールという別の新しい博物館もできているが、今回は立ち寄らなかった。機会があれば行ってみたいと思う。

 

  ゴールデントライアングルからチェンセンまでは、ボートで移動した。約10kmだが、かなりのスピードが出るので、乗船時間は長くない。ドンサオ島の前後あわせて30分ほど。

  途中、ラオス領のドンサオ島に立ち寄った。ただしビザは不要で、パスポートを見せる必要もない。島の上陸料は必要。ラオス国旗が掲げられていりこと以外は、タイ国内とほとんど変わらない感じだ。それでも一応、ラオスにいったことにはなった。

 

  左が、ドンサオ島の玄関口。ここから100mほど奥のほうまで入ることができる。

  島では、観光客向けの土産物屋が十軒程度並んでいるだけで、ほかには特に見るべきものは何もない。

  土産物屋では、ラオス製品をいろいろ売っている。タバコ、ヘビやサソリを漬けてある酒、ラオスのお金や切手など。

  30分の滞在時間をもてあまし、予定より早く島を退去。

 

 

  右端のボートがメコン川で乗ったボート。何人乗りなのだろうか。自分と米国人、ガイド、そして船の操縦者をあわせて4人。

  川を隔てて見えるのがタイ領。対岸の左の奥のほうにチェンセンの町がある。

  下は、ヘビの入った酒。小さいビンのほうには、サソリや小さいヘビが酒に浸されていた。

  右下は、土産物屋の内側から見た風景。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ボートでチェンセンに到着。14世紀には、チェンセン王国の都であった。

 

 

 

 

 

  

 

    チェンセンでは、ワット・チェディ・ルアンへ。

  チェンセン王国時代に作られた仏塔である。

  このあと、1時間かけてチェンライに戻った。チェンライでは、予約してある、ゴールデントライアングルインへ直行。米国人は別の宿へ向かった。

  大通りに面した敷地に建っているが、少し奥まったところに建物があり、木々に囲まれていた。

 

 

 

 

 

 

  宿に入ったのは17時過ぎ。しばらく休もうとしたら、熟睡。気がつくと19時だった。

 

  夕食をとりにナイトバザール近くのレストラン、アヤズへ。

  注文は、ハンレーカレーにした。豚肉の塊が入っていて、シチュー煮込みのようなものだ。全然辛くないので、これがカレー?って感じだ。

 

 

 

  ビールはチェン。シンハより安いので選んだ。

  食後、ナイトバザールを見に行こうかと思っていたが、疲れていたので、翌日に回すことにした。近くのネットカフェで遊んでいったが、日本語が使えてよかった。ただ、スピードのほうはやや遅めであった。

  宿に戻り、シャワーを浴びて休もうとしたら、部屋に問題があったことに気付いた。明かりをつけたまま外出していたら、蚊をはじめ虫がたくさん部屋の中に侵入していたのだ。扉を調べると、完全に扉が閉まらず、すきまから虫が侵入できたのだ。

  レセプションに行き、部屋を換えてくれるように言った。すぐに部屋に来てくれ、すきまがあるのを確認させた。隣の部屋に変わることになり、荷物をまとめて、部屋を移動した。

  部屋を変わってから、しばらくしてから、シャワーを浴びようとしたが、お湯が出ない。しばらく、出るのを待ったが無理だった。それで、またもやレセプションへ行って、再度、部屋換えを頼んだ。さきほどと同じ人がシャワーを見に来て、お湯がでないことを確認。今度はかなり離れた部屋に移動した。

  今まで、部屋に不備があっても、移動が必要になるようなひどいことは、そうなかった。お湯が出ない場合も、たいていは機械を調整して出るようになっている。今回は、部屋の移動を一夜に二度したが、こんなことは初めてだ。3つ目の部屋は問題なかったが、1時間くらい、あたふたさせられた。再びチェンライに来ることがあっても、この宿には泊まりたくない。

 

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