日目前半

 

2日目、7時に朝食が運ばれるというので、待っていたら、なかなか持ってこない。8時前に、レセプションに言いに行こうと思った矢先、電話があって、朝食が遅れたが今から持っていくとのこと。典型的な中国風の朝食。お粥、饅頭(日本の肉饅と同じような具入り)、油条のセット。

この日は、蘇州の市内の庭園や寺を回る。市内の各地にみどころが散在しているので、移動には時間がかかりそうである。タクシー代は5kmまでは10元(約130円)というので、2km程度までは歩き、それ以上はタクシーを利用することにした。

最初の目的地、寒山寺に行く前に、朝の市内を少し散策してみた。車も多いが、通勤者の足は自転車とバスが中心のようだ。交差点では、日本では、あまりみかけない、信号が変わるまでの秒数が表示される信号が何箇所にもあった。

蘇州は運河の街であるが、市の中心部の立体交差になっているような箇所にも運河があった。運河には傾斜が設けられないので、周辺の道路の高さを調節して立体交差が設計されている。ここからタクシーを拾って、寒山寺に向かった。

寒山寺は、蘇州の西郊にあり、20分ほどかかった。6世紀につくられた寺で、そのころは、妙利普明塔院と呼ばれていた。唐の時代に寒山と拾得という僧侶がここで修行していたところから、寒山寺とよばれるようになった。唐の張継が「楓橋夜泊」という漢詩をよんで、寒山寺は有名になった。

自分は、寒山と拾得のことを、森鴎外の短編で知ったように思う。そのときのイメージが、挿絵があったためだろうか、山奥の寺だとずっと思っていた。今回の旅の準備をしていて、はじめて寒山寺が市街地にある寺と知った。

この寺は除夜の鐘でも有名だ。大晦日の夜はすごい人出だという。鐘楼の2階にこの鐘はあったが、狭い階段、狭い鐘つき場で、多くの人出が安全にさばけているのだろうか、と考えてしまった。自分も、鐘を、ボン、ボン、ボ〜ン、と打ってきた。

ある堂では、寒山と拾得が祭られていた。小説の挿絵のイメージで、この二人は乞食のような僧だという印象があったのだが、この像は、そういうイメージのものではなかった。

寒山寺のあと、すぐそばにある楓橋風景名勝区にも行ってみた。「楓橋夜泊」という漢詩は、かなり有名なようで、楓橋のそばに石碑が立っていた。この一帯は公園としてきれいに整備されているのだが、古い建物を取り壊して、新しい建物にするという方法がとられているので、前日に行った盤門そばの公園と同じで、風情に欠けていて、残念である。

このあと、タクシーで市の西北にある虎丘に向かった。虎丘は、呉王の闔閭の死後、埋葬されているところとされる。埋葬の3日後、丘に白い虎が現れ、墓を守ったとされるところから、虎丘という名がついている。

虎丘の入口のあたりにも運河があり、この付近は風情が残されていた。

丘への上り口あたる山門。画像の右手の赤いのは、籠。山門を入って少し行くと池があるのだが、剣池とよばれている。ここに闔閭が埋葬されたと伝えられていて、遺体とともに3000本の剣も埋められたという。

丘の一番上にあるのが、雲岩寺塔(虎丘塔)。この塔は、10世紀、宋の時代に建てられたものである。この塔、15度ほど傾いている。そのためか、中国のピサの斜塔とよばれることもある。塔のそばまでいくと、長蛇の列ができていたので、塔に登れるのかと思い並んでみたが、上は立ち入り禁止で、1階部分を見学するための列であった。

虎丘の出口を出たあたりには、土産物屋が並んでいる。朝食が少なめだったので、まだ11時を回ったところだったが、昼食にした。4菜1湯30元とあったので、その食堂に入ってみた。魚の煮付け(何という魚だろうか)、青菜としいたけの炒め物、マーボー豆腐、ピーマンと豚肉の炒め物、卵とトマトのスープと結構な量がでてきた。

昼食後、タクシーで西園へ。ここは独立した庭園のような名称がついているが、寺とその庭園のことである。寺は、戒幢律寺という。市内から寒山寺に行く途中、そして虎丘に行く途中に、運河沿いに見えていたのだが、これが西園だとは思わなかった。

参詣者の立てた線香の煙でモウモウ。さらに進むと、羅漢堂があり、無数の仏像が並び、壮観だった。

西花園と呼ばれる、西園の庭園。池の中に建つのは、湖心亭という。西園は、主要な観光ルートには入っていないためか、静けさを求めるならこの庭園はいい。

 

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