10 日 目 ゴ ア へ
インディゴ航空でハイデラバード乗継ゴアへ |
この日はゴアに向かう。当初、鉄道での移動を考えたが、早朝から夕方までの乗車で、1日中が移動になり、1日が無駄になることと体調維持のことを考え、国内線での移動にした。 でも、コーチからゴアへの直行便が夜の1便だけなので、時間も費用もかかるが、早朝に出発してハイデラバードで乗り継いでの移動にした。 タクシーは、最初にホテルに到着したときに予約しておいた。5時に予約しておいたが、少し遅れてやってきた。代金1400ルピー(約2200円)はホテルに払ってある。ドライバーはホテルに着くと、フロントへまず行った。多分、ドライバーの取り分は1200ルピー程度なのだろう。 |
早朝なので快適に走る。途中、かなりの距離をメトロの高架の下の道を走った。空港はメトロの終点から5kmほどのところなので、将来はメトロが空港まで延長されるのだろう。 空港まで30qほどあるが、30分ほどで、6時前に到着。国内線はターミナル1のようだ。インドでは、ターミナルに入るのに、Eチケット控えとIDを見せなければならず、空港に入るのに20分ほどかかった。 |
インディゴ航空はインド最大のLCCで、カウンターの半分くらいを占めている。 ゴアまでスルーチェックイン。 |
上左 保安検査を通リ、プライオリティパスで入れるラウンジに向かった。かなり広いうえ、ビュッフェがホテル並みに充実していた。 上右 窓からは空港内がよく見えた。 左 大皿にとったのは、下からウプマ、プーリ、イドリ、ワダ、そしてオムレツ。カレーは、サンバル(野菜カレー)とチャナマサラ(豆カレー)。ジュースはトマトジュース。 |
食事中、ビュッフェとは別のところで、何か調理して渡しているのを発見。近づいてみるとドーサを焼いていた。 下左 マサラドーサをつくってもらった。かなりボリュームがあり、先の大皿と合わせて満腹になった。 下右 フルーツ。 |
上左 ゲートへ。 上右 8時40分発の6E 334ハイデラバード行きに搭乗。 左 搭乗便。 |
機内。 1時間少々でハイデラバードへ。LCCなので無料の飲物サービスなどはなく、ただ時間が過ぎるのにまかせた。 下左 ハイデラバード ナジブ・ガンディー空港着。バス連絡で、スロープ式のタラップを下りた。 下右 連絡バス。 |
上左 乗継用の保安検査場があり、ちょっと面倒。通過すると、出発エリアに入った。 上右 すぐにラウンジへ。 左 指定された搭乗時刻までは、20分ほどしか余裕がないが、昼食代わりに少しいただく。 |
上左 12時40分発 6E
905ゴア行きに搭乗。 上右 搭乗ゲートは国内線のゲートの端で、その先は国際線になっていた。写真は境界にあった仕切り版。 左 機内。 |
ゴア ヴァスコ・ダ・ガマ空港に到着。 下左 プリペイドタクシーを利用。宿のあるゴアの中心地パナジまで980ルピー(約1500円)。路線バス利用ということも考えたが、宿に着いた後、街歩きをしたいので時間確保のためタクシーを利用した。 下右 利用したタクシー。 |
タクシー車内から見たゴア空港。 下 パナジのホテルに向かう途中、たまたま見えた列車。 |
ポルトガル風街並みのゴアでは食堂でビールが飲める |
空港から40分で、パナジに到着。宿「マルキトズ ゲストハウス」があったのは、狭い路地を入ったところで、ドライバーが何度か現地民に尋ねてくれていきつくことができた。路線バスで行ったとしたら、宿を見つけるのに苦労しただろうと思う。移動時間短縮だけじゃなく、宿を見つけるうえでも、タクシーを利用してよかった。 フロントは2階なので、2階まで荷物を持って上がる。 |
部屋は1階で、再び荷物を持って下りる。玄関にあたる出入口の階段の左側にある部屋。公道から直接に出入りする部屋だった。この扉を開けると狭い部屋にベッドがドカンと置いてあるのだ。 外観は緑色。鮮やかなパステルカラーで、リスボンでよく見たいろいろな色の住宅と通じる。 |
部屋はとても狭く、ベッドの周りの床でスーツケースを開くことができないほどだ。 南向きの部屋でとても暑く、天井の扇風機だけでは何の効き目もなく、公道に面していたけれども、扉を全開にして暑さをしのいだ。幸い、通行人はほとんどなかったけれども。 |
30分ほど休んで、パナジの街歩きに出かけた。 ゴアは、16世紀初めにポルトガル領になった。ムンバイとコーチの間の良港であったためのようだ。当初は、オールドゴアが拠点で、今も古い教会はオールドゴアにある。しかし、18世紀にコレラの蔓延で街が放棄され、パナジに拠点が移転した。 1947年のインドの英国からの独立後もポルトガル領だったが、1961年、インドが軍事的に併合した。1974年、ポルトガルの独裁政権が終わり、残っていた植民地のほとんどを放棄したが、ゴア併合も認めた。併合後は連邦直轄領だったが、1987年にゴア州が設置された。州都はパナジ。 パナジにはポルトガル領時代の建築物が残されている。写真の建物もポルトガル領時代からのものだろう。 |
上左 青のほか、赤や黄などに塗った住宅が多い。 上右 アズレージョ。ポルトガルでタイルのことで、青で絵や文字を描いたものが多い。パナジでも、道路名や住宅名をあらわすものを多く見た。 左 大通りにも、ポルトガル時代かららしき建物が並んでいる。 |
ポルトガル領時代の邸宅だったような感じの建物。 下左 パナジ教会。真っ白の教会。中には入れなかった。 下右 イエス像の一部やテラス状に出っ張った部分が青で、ほかの部分の白に対して目立つ。 |
丘の上に上る階段。階段の上が何か、行ってみなかったのでわからないが、この階段を見て思い出したのは、ブラガにあるボン・ジェズスの階段。 下左 サン・セバスティアン礼拝堂。中には入れなかった。 下右 サン・セバスティアン通りのアズレージョの標識。 |
紐に紙がくくりつけられ”おみくじ”みたいな感じ。真中の屋根があるところは、キリスト教の祠。 下左 宿近くのマーケット。夜遅くまで開いていて、飲物の買い出しが便利だった。 下右 買ってきた飲物、夕食時の外出まで一休み。 |
上左 30分ほど休んで夕食にために外出。宿のすぐ前にもキリスト教の祠があった。先ほどは見落としていたが、火がともされているので気づいた。 上右 窓の中にはマリア像が置かれていた。 左 海沿いに出てみると、カジノがあった。 |
インドにやってきてずっと、酒を売る店は目立たないところにあった。旅行者にはみつけにくく、どうしても買いたいわけでもないので、探してもいなかった。それが、ゴアでは、大通りに面して酒の販売店が何軒も軒を連ねている一角があって、すぐにわかった。 |
酒を売る店のひとつ。 |
上左 「レゴ フードプレイス」というシーフード店で夕食。 上右 店内。 左 メニューを見てびっくりしたのは、メニューにビールやワインがあったこと。インドに来て以来、ビールを飲もうとすればバーに行くしなかった。バーは目だたない場所にあったり、ホテルに併設されている場合も、ホテルの玄関とは別の入口から入るようになっていた。この店では、堂々と食堂で飲める。あとで、近くの食堂を見ると、店頭にビールと書いている店もあって、ほとんどの食堂でビールが飲めるのだろう。 注文したのは、キングフィッシャーのストロング。 |
フィッシュカレーを注文。フィッシュカレーやツナカレーは、インドに来てから複数回食べたが、どれも魚が煮込んであるカレーだった。今回は、魚のフライがご飯の上にのせてあるものだった。魚はツナのようだった。 料理が120、ビールが80の合わせて200ルピー(約300円)。ビールは簡単に飲めるだけじゃなく、缶ビールとはいえ、ほかのインドの街のバーで飲むより安い。 |
食後は海岸べりに出てベンチでしばらく休んだ。海岸べりは風があって心地よい。 パナジとゴア北部を結ぶ道路が湾を橋で通っていて、ライトアップされている。色が虹のように変化していてきれいだ。 |
別の方向を見ると、キングフィッシャーのネオンが、対岸で輝いていた。ビールの広告が堂々とできるのもゴアならではなのかもしれない。 宿に戻って休んだ。 |
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