11 日 目 オ ー ル ド ゴ ア
フランシスコ・ザビエルのミイラを見る |
![]() フロントに人がいないので、呼び鈴できてもらって朝食場所を尋ねる。さらに上の階に上ったところの屋根の直下だ。 カウンターがあり、バーとしても利用できるみたいだったが、バーの営業はしていないようだ。客はひょっとしたら自分だけかもしれないと思った。 |
![]() 下左 コーヒー。 下右 朝食後、すぐにチェックアウトし、荷物を預かってもらった。 バススタンドに向かう途中、運河を渡る。 |
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![]() とても大きなバススタンド。その上、行先の英語表示も不十分で、何度も尋ねた。 |
![]() オールドゴアへ行くバスをようやく見つけた。オールドゴアは途中下車になる。 |
![]() オールドゴアまでは20分ほど。距離は10kmほどのようだ。オールドゴアのボン・ジェズ教会の前で下車。 |
![]() フランシスコ・ザビエルは、1506年、いまはスペインのバスク地方にあったナヴァラ王国のハビエル城で生まれた。 パリ大学在学中に、イグナティウス・ロヨラらとイエズス会を創立。イエズス会はカトリックを世界に伝道する事業をしていて、1541年にゴアに派遣された。 ゴアを拠点にインド各地で布教活動したほか、マラッカを拠点にモルッカ諸島で布教した。1549年から51年に日本で布教を行った。1952年いったんゴアに戻り、中国南部の上川島にいたったが、中国での布教ができないまま死去。 遺体は、いったんマラッカへ、その後ゴアのボン・ジェズ教会に運ばれた。 |
![]() 祭壇の右手に人が集まっている。ここにザビエルのミイラがあるのだろうと思い進んだ。 |
![]() 普段は離れた位置からしか見られないが、10年に一度、40日程度、ミイラをそばで見ることができる。直近では2014年末に公開されたので、次回は2024年末。 |
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![]() 十字架にかけられたイエスの全体に鮮血が描かれている。こういう描き方は初めて見たが、衝撃的なものだった。 |
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![]() 20分ほど待ち、ショーは40分ほどだった。次々に歩いて場所を移動し、それぞれの場所で人形劇があった。前半はイエス・キリスト、後半はフランシスコ・ザビエルの生涯を紹介するものだった。ザビエルの日本布教の紹介の場面では日本風の音楽が使われていた。 |
オールドゴア散策 |
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![]() 左 セ・カテドラルは東側に入口がある。 |
![]() 下左 平面図が十字架になっている。十字架の縦線と横線の交点のあたり。 下右 祭壇。 |
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![]() 下左 博物館に入る。 下右 大航海時代の帆船の模型。 |
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![]() 下左 内部には何も残されていなかった。 下右 井戸の跡。 |
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![]() 下 店内。 |
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![]() ティッカは、肉を窯で焼いたもので、タンドリーに似ているが、タンドリーが骨付きであるのに対してティッカは骨を抜いてある。 マサラで味付けされたチキンだと思って注文したら、カレーだった。 |
![]() 左がパラタ。小麦から作られ、生地を延ばして何層にもおり重ねてタンドールで焼いたパン。 どちらも、チャパティに似た感じで、北インドのパンである。 |
![]() 下左 鐘楼の一面が残っていた。 下右 一部にはアズレージョが残されていた。 |
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人生初の夜行寝台バス |
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![]() 上右 博物館が移動したという張り紙を見つけた。移動先の住所は書いてあるが、地図などはなく、訪問をあきらめた。 左 壁一面がアズレージョの家を発見。最近建てられたような感じ。 |
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![]() 上右 市場。建物は比較的新しい。 左 1階は青果が中心で、2階は行ってないが衣類などが中心のようだ。内部は明るく、床が水浸しであるとかいったことはなく、インドのイメージとはちょっと違う。 |
![]() ここを抜けると、川べりに抜けて、幅の広い遊歩道を散歩。 |
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![]() 2階のベランダにもテーブルが置かれていたので着席。道路を隔てて運河があり、また前方には川も見え眺めがよい。 メニューを見ると、期待していたポルトガル風のものはなく、しかもインド料理もなく残念。 |
![]() ほかのキングフィッシャーのビールとはラベルが違っていて、ウルトラ独自のラベルだ。また瓶が透明の瓶。 下 シュリンプ・クロスティーニ。 フランスパンのを薄切りトーストの上に小エビのクリームソースあえがのっているもの。 |
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![]() レストランを出ると、2階のベランダがきれいに見える。宿で荷物を引き取り、バス乗場へ。 夜行バスは何度も乗ってるし、寝台バスは昼間だがベトナムで乗ったことがある。でも、夜行寝台バスとなると人生初体験だ。 今回のインド旅行で、うまく乗り切れるかどうか最も心配したのが、この日と、後日乗る予定のベンガルール行きの夜行寝台バスだった。 この旅行で長距離移動になる区間のうち、コーチからゴアは空路を利用できたが、ゴアからホスペットとホスペットからベンガルールは、どうしても夜行バスか夜行列車を使わざるを得ない。空路がないからだ。夜行列車は遅れが心配なので、夜行バスにした。夜行バスには座席のバスもあったが、疲れを少なくするために寝台バスを選んだ。 |
![]() パウロとは、イエスの弟子の名前なので、インドにあっては、キリスト教徒が多いゴアのバス会社らしい会社名だ。 |
![]() 5分ほど歩いて、パウロトラベルの駐車場に着いた。この会社はゴアを拠点にして、各地へのバスを走らせているようで、10台以上のバスが止まっていた。 |
![]() 乗車時間がきて乗車。出発時は客は数人だったが、途中立ち寄ったビーチエリアの街で客を拾っていった。ハンピ行きというだけあって、乗客のほとんどは外国人観光客のようだ。見た限り欧米系で占められていて、東アジア系はいない。 下左 通路の両側に寝台が並んでいる。左側は2人用ベッド、右側が1人用ベッドで、進行方向に向いて寝転ぶ。2段式でカーテンがある。 下右 自席。1人席の最前列の下段を1か月前に予約して確保しておいた。背もたれとビニール製の枕が写っている。写真の右上に少しだけ窓も写っている。 |
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![]() 1人用ベッドで、しかも出入りを考えると下段にしたいとなると、1台に6席しかない。なるべく早く予約するのがよい。 あとで気づいたが、細かいところにはほこりがあり、掃除はあまりしてなさそうだった。枕と毛布はクリーニングしているか怪しかったが、我慢して利用した。 上右 2人用ベッドの下段部分の一部はベッドの代わりに座席になっていた。 左 2人用ベッド。幅は1人用ベッドの倍ある。家族用のものだろうが、満員の場合などに、知らない人と寝なければならないケースもありうるのだろう。 |
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![]() ホスペット(ハンピの近くの下車した街)まで400kmほどで、後日乗車したホスペット〜ベンガルールの400kmと同じくらい。でも所要時間は、この日が10時間、ベンガルールまでは6時間。この日乗ったバスは、ゴア南部のビーチ沿いに進み、客を拾うため遠回りしたことと、途中の道路が未整備であるためのようだった。 左 横になって足を延ばすと、足先は狭い空間に入る。このような感じで朝まで過ごした。冷房がきつすぎるかもと思い、上に着るものを準備してたが、その必要はなく、ほどほどの冷房で気持ちよく過ごせてよかった。 以前、昼間に乗ったことがあるベトナムの寝台バスとの違いだが、1つは、ベトナムの場合は通路が2つあって、1人用の2段ベッドが3列に並んでいること。もう1つは、ベトナムの場合はカーテンがなかったことだ。 |
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