11 日 目  オ ー ル ド ゴ ア

フランシスコ・ザビエルのミイラを見る
  この日はオールドゴアをメインにし、残った時間でパナジの行けてないところを回る。そして夜行寝台バスでハンピに向かう。

 フロントに人がいないので、呼び鈴できてもらって朝食場所を尋ねる。さらに上の階に上ったところの屋根の直下だ。

 カウンターがあり、バーとしても利用できるみたいだったが、バーの営業はしていないようだ。客はひょっとしたら自分だけかもしれないと思った。
 卵料理は何がよいか聞かれたので、オムレツにしてもらった。簡素な朝食だが、1000円台の宿で、部屋は1000円台だという感じだったが、朝食がつくという点はよいと思う。

 下左  コーヒー。

 下右  朝食後、すぐにチェックアウトし、荷物を預かってもらった。

 バススタンドに向かう途中、運河を渡る。
 
 パナジのバススタンド。

 とても大きなバススタンド。その上、行先の英語表示も不十分で、何度も尋ねた。
 パナジからゴア州内各地の街に行くバスが出ているが、各地の街を結ぶバスは少なそうだ。

 オールドゴアへ行くバスをようやく見つけた。オールドゴアは途中下車になる。
 
 車内。

 オールドゴアまでは20分ほど。距離は10kmほどのようだ。オールドゴアのボン・ジェズ教会の前で下車。
 
 ボン・ジェズ教会は、フランシスコ・ザビエルのミイラが安置されている教会だ。

 フランシスコ・ザビエルは、1506年、いまはスペインのバスク地方にあったナヴァラ王国のハビエル城で生まれた。
 
 パリ大学在学中に、イグナティウス・ロヨラらとイエズス会を創立。イエズス会はカトリックを世界に伝道する事業をしていて、1541年にゴアに派遣された。

 ゴアを拠点にインド各地で布教活動したほか、マラッカを拠点にモルッカ諸島で布教した。1549年から51年に日本で布教を行った。1952年いったんゴアに戻り、中国南部の上川島にいたったが、中国での布教ができないまま死去。

 遺体は、いったんマラッカへ、その後ゴアのボン・ジェズ教会に運ばれた。


 
 外観は赤茶色だが、中は白が基調。

 祭壇の右手に人が集まっている。ここにザビエルのミイラがあるのだろうと思い進んだ。 
 
 高い位置に置かれた棺には窓があり、その中に黒いものが見える。単に黒い何かでしかないが、これがザビエルのミイラ。

 普段は離れた位置からしか見られないが、10年に一度、40日程度、ミイラをそばで見ることができる。直近では2014年末に公開されたので、次回は2024年末。
 
  棺を拡大。黒い何かが見える。
 
 祭壇など。右手に人が多いのはザビエルを見る人の列。
 教会の後部。
 
  聖堂を出ると、小さな博物館があった。

 十字架にかけられたイエスの全体に鮮血が描かれている。こういう描き方は初めて見たが、衝撃的なものだった。
 
  この教会の所有物だけじゃなく、ゴア各地の教会にあったものが集められていた感じだ。
 
 中庭には、キリスト生誕をあらわす展示物があった。クリスマス前後には教会内でよく見るが、中庭で見たのは初めて。
 
  音と光のショー、って書いてあるのを見て、入ってみることにした。

 20分ほど待ち、ショーは40分ほどだった。次々に歩いて場所を移動し、それぞれの場所で人形劇があった。前半はイエス・キリスト、後半はフランシスコ・ザビエルの生涯を紹介するものだった。ザビエルの日本布教の紹介の場面では日本風の音楽が使われていた。
オールドゴア散策
 
 ボン・ジェズ教会とバスの走る道路を挟んで、対称的な位置にあるのが、2つの教会。左が聖フランシス教会、右がセ・カテドラル。写真は右が東。

 左  セ・カテドラルは東側に入口がある。
 
 内部も白が基調。17世紀に完成し、現役の教会である。

 下左  平面図が十字架になっている。十字架の縦線と横線の交点のあたり。

 下右  祭壇。
 
 
 
 聖フランシス教会。17世紀に完成。こちらは現役の教会ではない。左側にある建物は博物館。
 
 工事中のため、中には入れなかった。

 下左  博物館に入る。

 下右  大航海時代の帆船の模型。
 
 
 
 
  博物館の裏手にあった廃墟になった教会。

 下左  内部には何も残されていなかった。

 下右  井戸の跡。
 
 
 
 
  オールドゴアの中心にある「ランタ・サガール」で昼食。

 下  店内。
 
 
 
  キングフィッシャー・ドラフト。瓶だと思っていたら、缶だった。
 
 チキン・ティッカ・マサラ。

 ティッカは、肉を窯で焼いたもので、タンドリーに似ているが、タンドリーが骨付きであるのに対してティッカは骨を抜いてある。

 マサラで味付けされたチキンだと思って注文したら、カレーだった。
 
 
 右がクルチャ。小麦から作られ、野菜や香辛料が練りこまれた生地をタンドールで焼いたパン。

 左がパラタ。小麦から作られ、生地を延ばして何層にもおり重ねてタンドールで焼いたパン。

 どちらも、チャパティに似た感じで、北インドのパンである。
 
 聖アウグスティヌス教会の跡。広場のようになっているが、建物があった。一部の壁が残るだけ。

 下左  鐘楼の一面が残っていた。

 下右  一部にはアズレージョが残されていた。
 
 
 
 
 サンタモニカ修道院。
 
 ここは現役で使われているようだった。
 
 聖母ロザリオ教会。 
 
  ここは内部にはほとんど何もなかった。
 
 聖母ロザリオ修道院。ここは現役で敷地内には入れなかった。歴史的なものかどうかも不明。
 
  昼食をとったレストランの前からバスでパナジに戻った。目の前で1本逃したが、すぐにやってきた。いくつかの系統が通っているのだろう。
人生初の夜行寝台バス
 
 上左  パナジに戻ったあと、州立博物館に向かった。ところが、見当たらず、ガイドブックの地図の位置は野原。

 上右  博物館が移動したという張り紙を見つけた。移動先の住所は書いてあるが、地図などはなく、訪問をあきらめた。

 左  壁一面がアズレージョの家を発見。最近建てられたような感じ。
 
 
  上左  道路標示のアズレージョはあちこちにある。

 上右  市場。建物は比較的新しい。

 左  1階は青果が中心で、2階は行ってないが衣類などが中心のようだ。内部は明るく、床が水浸しであるとかいったことはなく、インドのイメージとはちょっと違う。
 
 魚市場はいったん市場の建物を出てから別にあった。通路の両側に売り手が座っているのが珍しい。魚市場もあまりインドらしくない感じ。

 ここを抜けると、川べりに抜けて、幅の広い遊歩道を散歩。
 
 遊歩道からカジノ船が見えた。カジノがあるのは前日にわかっていたが、前日見たのはカジノそのものではなく、カジノ船に行くためのフェリー乗場だったと知った。このようなカジノ船が3隻あった。
 
 遊歩道を歩き、日没になり、夕食をとるレストランを探した。できればポルトガル料理はないかと見てまわったが、見つけられなかった。
 
 ポルトガル風の建物を利用した外国人向けのレストランに入る。

 2階のベランダにもテーブルが置かれていたので着席。道路を隔てて運河があり、また前方には川も見え眺めがよい。

 メニューを見ると、期待していたポルトガル風のものはなく、しかもインド料理もなく残念。
 
 キングフィッシャー・ウルトラ。

 ほかのキングフィッシャーのビールとはラベルが違っていて、ウルトラ独自のラベルだ。また瓶が透明の瓶。

 下  シュリンプ・クロスティーニ。

 フランスパンのを薄切りトーストの上に小エビのクリームソースあえがのっているもの。
 
 
 夜行寝台バスは20時発なので、19時30分には乗場に着いていたい。その前に宿で荷物を引き取らなけらばない。それでも、時間を持て余し気味で19時前までねばった。

 レストランを出ると、2階のベランダがきれいに見える。宿で荷物を引き取り、バス乗場へ。

 夜行バスは何度も乗ってるし、寝台バスは昼間だがベトナムで乗ったことがある。でも、夜行寝台バスとなると人生初体験だ。

 今回のインド旅行で、うまく乗り切れるかどうか最も心配したのが、この日と、後日乗る予定のベンガルール行きの夜行寝台バスだった。

 この旅行で長距離移動になる区間のうち、コーチからゴアは空路を利用できたが、ゴアからホスペットとホスペットからベンガルールは、どうしても夜行バスか夜行列車を使わざるを得ない。空路がないからだ。夜行列車は遅れが心配なので、夜行バスにした。夜行バスには座席のバスもあったが、疲れを少なくするために寝台バスを選んだ。
 
 バススタンドの入口近くに、乗車するバスであるパウロトラベルの営業所があることは、朝、通りがかったときに見ているので、すぐに行けた。

 パウロとは、イエスの弟子の名前なので、インドにあっては、キリスト教徒が多いゴアのバス会社らしい会社名だ。
 
 印刷した予約票を見せると、確認した上で、乗場はここではなく、バススタンドを通り越して、少し歩いた広場だという。

 5分ほど歩いて、パウロトラベルの駐車場に着いた。この会社はゴアを拠点にして、各地へのバスを走らせているようで、10台以上のバスが止まっていた。
 
 バスには行先表示がしていなくて、全部パウロの表示があるだけなので、どのバスに乗るのかわからない。切符売場まで行って予約票を見せたら、乗車するバスまで案内してくれた。

 乗車時間がきて乗車。出発時は客は数人だったが、途中立ち寄ったビーチエリアの街で客を拾っていった。ハンピ行きというだけあって、乗客のほとんどは外国人観光客のようだ。見た限り欧米系で占められていて、東アジア系はいない。

 下左  通路の両側に寝台が並んでいる。左側は2人用ベッド、右側が1人用ベッドで、進行方向に向いて寝転ぶ。2段式でカーテンがある。

 下右  自席。1人席の最前列の下段を1か月前に予約して確保しておいた。背もたれとビニール製の枕が写っている。写真の右上に少しだけ窓も写っている。
 
 
 
 上左  自席を足元に向けて撮影。足元の先端部分は、狭い空間に足を突っ込む。
 
 1人用ベッドで、しかも出入りを考えると下段にしたいとなると、1台に6席しかない。なるべく早く予約するのがよい。

 あとで気づいたが、細かいところにはほこりがあり、掃除はあまりしてなさそうだった。枕と毛布はクリーニングしているか怪しかったが、我慢して利用した。

 上右  2人用ベッドの下段部分の一部はベッドの代わりに座席になっていた。

 左  2人用ベッド。幅は1人用ベッドの倍ある。家族用のものだろうが、満員の場合などに、知らない人と寝なければならないケースもありうるのだろう。

 
 
 
  上  20時に出発後4時間ほどでトイレ休憩があった際に撮影。このあとは5時間、休憩なしだった。

 ホスペット(ハンピの近くの下車した街)まで400kmほどで、後日乗車したホスペット〜ベンガルールの400kmと同じくらい。でも所要時間は、この日が10時間、ベンガルールまでは6時間。この日乗ったバスは、ゴア南部のビーチ沿いに進み、客を拾うため遠回りしたことと、途中の道路が未整備であるためのようだった。

 左  横になって足を延ばすと、足先は狭い空間に入る。このような感じで朝まで過ごした。冷房がきつすぎるかもと思い、上に着るものを準備してたが、その必要はなく、ほどほどの冷房で気持ちよく過ごせてよかった。

 以前、昼間に乗ったことがあるベトナムの寝台バスとの違いだが、1つは、ベトナムの場合は通路が2つあって、1人用の2段ベッドが3列に並んでいること。もう1つは、ベトナムの場合はカーテンがなかったことだ。

 

 10日目へ 南インドのトップページへ 全体のトップページへ 12日目へ