15 日 目  マ イ ソ ー ル

 

 

 

ベンガルールから移動しマイソール宮殿を見る
 ホスペットからベンガルールは快調に飛ばし、定刻の1時間前の4時30分にベンガルールに到着。そのかわり、ベンガルールのメインのバススタンドであるケンペコウダに着くだろうと思っていたのが間違いでSRSトラベルの独自のターミナルに到着した。

 ケンペコウダに着けば隣接する鉄道駅からマイソールに向かうか、ケンペコウダからサテライトバススタンドまで行って、マイソールに向かうつもりだった。到着地点から駅とケンペコウダまで2kmほどあり、しかも真っ暗なので、リキシャでないと無理だ。
 とっさに鉄道ではなく、サテライトまで行って、バスに乗ることにした。鉄道の出発時間を調べていなかったからだ。

 リキシャはさほど多く来てなかったので、すぐに1台のリキシャを確保。このときまでの経験上リキシャは2kmまで50ルピーくらいかなと思っていたので、5qほどのサテライトまで150ほどだと考えて交渉。最初は500と言われたが、値切ると300になった。これでもぼっている気がしたが、深夜料金があるとすれば倍でもやむを得ないかなと思った。
  20分ほどでサテライトバススタンドに到着。目の前に、チェンナイ発マイソール行きのバスが止まっていた。すぐに乗りたかったが、トイレと顔を洗ったりしたかったので、少し離れた間に出発してしまった。次にやってきたのが、ローカルバスのマイソール行き。速度も快適度も長距離バスの区間乗車のほうが優れていると思ったが、つぎはいつやってくるかわからなかったのでローカルバスを使うことにした。

 バスの後の出入口のすぐ前が荷物を置きやすいので、そこに置いて、一番後ろの席に着席。最後部は座り心地はあまりよくないが仕方ない。片側2人、片側3人のシートだが、常に立ち客がいた。短距離乗車が多く、客がつぎつぎに代わり、マイソールまでの客はローカルバスは使わないようだ。
 
  5時30分にサテライトを出発したバスは8時30分にマイソールのバススタンド到着。距離は150kmほど。

 荷物を預けようとしたら、8時30分から9時は閉鎖。

 待ち時間に、翌々日のホテルの予約を変える作業をした。翌々日はベンガルールで3000円台のホテルを予約していたが、これをキャンセル。この日まではキャンセルしても手数料は不要だった。代わりに9000円台のホテルを予約した。

 現地で、旅行コースが変わらないのに、予約を取り消して、別のホテルを予約しなおしたのは初めてのことだ。(旅行中にコースを変更したことはある。タイからマレーシアの越境で東海岸ルートでテロ発生のため、西海岸ルートに変更したことがあり、ホテルもキャンセルと別ホテルを予約した。)

 自分にとっては異例のことをしたのは、前日はハンピで体調が悪かったし。この日も万全とまでは治っていないと思ったので、インドで最後の泊りになる翌々日は必ずエアコンや冷蔵庫のある宿にしたいと思ったからだ。

 

 
 9時になり、荷物を預けて身軽になった。

 下左、下右  マイソール宮殿へと向かう。宮殿の入口までは1km少々。宮殿までの途中の光景。
 
 マイソール宮殿に到着したが、ここは東門。ここからは入場できず、さらに300mほど歩いて南門から入る。

 東門は奥の方に宮殿のメインになる建物が建っていて眺めが良い。

 この日は日曜日。日曜日の夜は宮殿がライトアップされ、この門からも入場でき、庭だけだが無料だというので、この時は夜もやってこようと思っていた。
 
 南門から入場。ガイドブックでは、外国人料金と写真撮影料が書いてあったが、どちらもなくなっていてよかった。

 英国領時代にマイソール王国には藩王がいて、一定の支配権が認められていた。インド各地に藩王はいたが、藩王の宮殿の中でもここは特に立派だという。

 かつては木造だたっが19世紀末に火災で焼け落ち、1912年に完成した宮殿で、かなり新しい。ヒンドゥー、イスラム、英国の建築が混ざったような建物だ。

 
 
 東門から遠くに見えていた建物を直近で見ることができた。

  このあと、この部分の裏手にある中庭に行き、履物を預けて、この建物の中に入る。中に入るまでには30分ほど並ばねばならなかった。
 
 入場してすぐのところがドールズパビリオン。廊下には、藩王が所有したものが展示されている。
 
 婚礼のパビリオン。大ホールで、柱は鉄製。ゴージャスな雰囲気ではあるが、さほど古くないので、ありがたみが感じられない。
 
 展示室には宝物が並べられている。写真左は王座で、肘かけにはライオンの彫刻がある。写真右は大きな象牙で、最上には王家の紋章がついている。王座の左側にも同じような象牙があった。
 
 建物正面の庭を2階から見下ろすテラス。4つ上の写真は、ここの外側から撮影したもの。
 
 ダルバールホール。緑のアーチと金色の柱が並んで美しい。謁見の間として利用された。
 
 小ダルバールホール。非公式な謁見に利用されたという。

 下左  宮殿のメインの建物を出た後は、履物を履いてよいが、履いてない人も多く、履いてよいと初めはわからなかった。

 下右  宮殿の敷地内にはヒンドゥー寺院がいくつかあった。

 並んだ時間も入れて2時間弱のマイソール宮殿見学だった。まだ疲れていたので、しばらくベンチで休んでから昼食を食べに行く。
 
 昼食は、「ホテルRRR」でとった。面白いのは隣に「ホテルSCVDS」が写っているが、こちらは食堂じゃなく泊まるためのホテルで、バーもあるので、夜にやってこようかとこの時は思っていた。
 
 エアコンのある店であるためか、にぎわっていて、席を探すのに苦労した。店内で待ち、近くで空席ができるとすぐに着席した。
 
  チキンビリヤニ。インド風の炊き込みご飯で、写真ではご飯しか見えないが、中にチキンが隠されていた。

 バナナの葉の上にご飯が置かれる。チャナマサラ(豆のカレー)とタマネギの酢漬け入りのヨーグルトがついてくる。カレーとヨーグルトを混ぜ混ぜしながら、指でつまんでいただいた。
マイソール街歩き
 昼食後はマイソールの中心部を街歩きする。

 ロータリーのひとつ。中心にはマイソール宮殿の屋根にあるのと同じタマネギ形のドームがある。

 下左  時計塔。

 下右  時計の数字はカルナータカ州の公用語のカンナダ語の数字。
 
 スイカは丸く輪切りにしている。ケララ州でもそうだった。小さなスイカなのでそうするのかな。食べてみたかったが、下痢対策でやめておいた。

 下左  グレープジュース屋。グレープだけというのが面白い。今回はこのような店をぎりぎり飲食できるレベルと考えていた。

 下右  飲んでみた。普通のグレーピジュースだが、冷たくてよかった。
 
 
 テ―ヴァ―ラージ・マーケットへ。

 入口付近で座っている人々。大きな荷物を持っている人も多く、買い出しにきて、帰りのバスを待っているのだろうか。
 
 バナナ屋。

 この店はモンキーバナナ専門のようだ。バナナ屋は何店もあり、1か所に集中していた。
 色粉を店頭に出している店。

 ヒンドゥー教のお祭り「ホーリー」では、顔を色粉で塗りたくり、他の人に色粉をかけて楽しむそうだ。観光客も気をつけないと色粉をかけられるそうだ。地域によっては、色粉を溶かした水をかける場合もあり、タイのソンクランに通じるものがある。

 「ホーリー」は毎年2、3
月にあるが、2020年は旅行の1ヶ月あまり後の3月9日日没から10日だった。
 
 花輪の店。この路地の両側はほとんど花輪で彩られていた。

 花輪は一年中、ヒンドゥー教エリアでは売っている。寺院に参拝したときや自宅に神様を祀っているとき、神様にかけるために輪っかになっている。
 
 花輪をつくるための花の店。

 花輪店に卸したり、自宅で花輪を作る人に売っているのだろう。花の種類ごとに量り売りしていた。
 
 肉屋。

 店頭では、山羊の頭を切ったものと、それを焼いたものを売っていた。
 
 山羊か羊をぶら下げている。

 鶏肉の店もあったが、鶏肉を売っているそのすぐ近くに生きた鶏のケージがあって、糞や羽がケージの外まで飛んでいて、衛生的にどうなのかなと気になった。
 
 マーケットを出た後、1kmほど歩いて鉄道駅に向かった。

 翌々日にベンガルールに向かうのだが、鉄道で向かいたいので時刻と切符売場を調べにきたのだ。
 
 バススタンドまで1.5kmほど、リキシャで向かった。50ルピー。

 朝、預けた荷物を受けとり、ホテルへ歩いて向かう。
 
 ホテルはバススタンドの裏手にあり、窓からはバススタンドの中も見えるのだが、バススタンドの敷地の周囲には塀があるので、すぐ近くにありながら、大きく迂回してホテルに向かった。

 泊まったのは「グランドイン」。
 
 室内。
 
 奥の方から入口を見る。

 ホテルには15時30分ごろに入り、3時間ほど休むつもりだった。でも、また疲れがひどくなり、外出する気にならなかった。18時30分からという、日曜日に行われるマイソ―ル宮殿のライトアップ見学もあきらめた。
 
 ずっと横になっていたかったが、夕食は食べに出ようと、19時30分ごろに外出。ホテルから1分ほどの「ホテル サント−シ」へ。
 
 店内。
 
 ミールスにしたが、半分ほどしか食べられなかった。カレー系が食べにくかったからだ。

 バーに行くつもりもしていたが、とりやめてホテルに戻り、また眠った。

 

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