16 日 目  シ ュ リ ー ラ ン ガ パ ト ナ

 

 

 

シュリーランガパトナ日帰り
  この日は、マイソールの郊外のシュリーランガパトナに行き、マイソールに戻ってからチャームンディーの丘に行こうと考えていた。

 予定より少し遅めの出発になり、9時30分ごろ市内バススタンドへ。売店で、食べ物を探した。

 下左  菓子パン2つを朝食とした。

 下右  飲物はBindu Fizz Jeera Masalaというインド独自のもの。コーラの色をしているが、コーラとは違う独特の味。まず辛みを感じる。マサラというだけあって、辛いものが混じっているのだろう。少し飲むと慣れて、全部を飲み干せた。
  市内バススタンドは、英語の表示が少しあるけれども、シュリーランガパトナに行くバスの乗場がわからず、何度も尋ねてやっと乗場が分かった。
 
 車内。珍しく、あまり見かけない冷房車だった。運賃は非冷房の2倍近くなのだろうが、体調がよくない身にとってはラッキーだった。
 30分ほどでシュリーランガパトナの村に入り、バススタンドまでは行かずに、観光地の集まっているエリアで下車した。

 最初に、「ベイリー大佐の牢獄」へ向かった。その手前で、川べりに出たら、洗濯をしていた人が大勢いた。
 列車が鉄橋を渡る音がしたので見たら、すぐ近くの鉄橋を列車が通っていた。

 駅もあるようだが、大半の列車は、普通列車であっても止まらないのだと思う。翌日に、普通列車でベンガルールに向かったが、この駅は通過したので。
 
 ぺイリー大佐の牢獄。

 シュリーランガパトナはマイソール王国の首都であった。18世紀末に、英国軍との4次にわたる戦争に敗れ、マイソール王国は領土を縮小させられ、最後には英国領となた。王は藩王の地位を認められ、首都はマイソールに移転した。

 戦争中にマイソール軍に捕らえられた英国軍のベイリー大佐がとらわれ、死亡したという監獄。
 
 監獄内は細長く、大砲が1門置かれていた。
 
  監獄を出たあたりでココナッツを売っていたので1個買った。
 
 ランガナータ寺院の前に山車が置いてあった。やってくる少し前に祭りがあったようだ。
 
 ランガナータ寺院の前にも、祭りで動かしたものが置かれていた。
 
 ラールマハル宮殿跡。

 マイソール王国のかつての宮殿が置かれていたが、取り壊されて、今はただの空地になっている。
 
 
 上左  ウォーターゲートの入口。

 上右  子供たちが小さな穴から出てくる魚をとっていた。これで、水をせき止めている石組みがウォーターゲートと知った。

 左  川をせき止めて、一部を流すウォーターゲート。ここの日陰で30分ほど休憩。
 
 ティプー戦没地。第4次マイソール戦争のさい、シュリーランガパトナは英国軍が占領し、ティプーの遺体がここで見つかった。

 下左  ジャーミア・マスジット。18世紀末、ティプーによって建てられたモスク。

 下右  モスク内に集まっていた人々。
 
 東門から城外へ。

 バススタンドの東には、ティプーの夏の離宮であるダリア・ダラウト・バーグとティプーの墓のグンバスがあり、行くつもりをしていたが、行く元気がなくなり、とりやめた。
 
 バススタンドからマイソール行きのバスに乗車。

 30分ほどで市内バスターミナルに戻った。

 このあとマイソールを一望するチャームンディーの丘に行くつもりだったが、こちらも行くのをとりやめた。
 
 16時ごろ「パークレーンホテル」へ。

 看板に書いてある通り、ここは泊まるためのホテルでもあり、食べるためのホテルでもある。インドへ来て以来、両方の機能を持っているホテルは初めて見た。そして、ここにはバーもあるので、バーへ向かった。
 
 バーの中。今まで行ったバーは、秘密の部屋みたいな感じで目立たなくて、内部も暗い感じのところが多かったが、ここはオープンエアの明るいバーだった。

 下左  最初に飲んだのは、キングフィッシャープレミアム。

 下右  続いてUBビール。こちらもインド産。
 
 
  フィッシュケバブ。ケバブといえば肉で、魚のケバブは初めてだ。魚のようには見えないが、魚を焼いたものだ。

 2時間ほど休んで、ホテルに戻った。

 下左  ホテルに戻る途中、バナナを売っていたので、10ルピー出した。

 下右  2本だった。その代わり、日本でも大きい部類に入るバナナだが。

 体調がよくなくてマイソールは十分に回り切れなかったのが残念。
 
 
 

 

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