11 セ ル チ ュ ク
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セルチュクへ |
この日はセルチュクへ鉄道で移動し、到着後、セルチュクの街の街歩きとエフェス遺跡を予定している。 7時からの朝食を急いでいただいた。時間がなくて、卵料理はつくってもらわなかった。今回の旅行でトルコでは4軒目のホテルだが、朝食は一番貧弱な感じだ。 |
ホテルのレストランからはオトガルがよく見える。バスが止まっているのは地下1階にあたる部分だが、屋根がないことがわかる。 オトガルの左上に鉄道駅が写っている。8時25分発のイズミル行きに乗るので、食後すぐにチェックアウトして、駅に向かった。 |
8時前にデニズリ駅に到着。鉄道駅も周囲の土地よりも低いところに作られていて、駅舎の2階が周囲の土地の高さだ。 下左 駅舎の玄関。 下右 切符売場。 |
乗車した列車。気動車による普通列車だが、現代的なデザインの車両になっている。8時25分発。 下左 中間車両。 下右 窓の上部にある側面の行先表示。窓は駅舎を写しだしている。 |
切符。 4p×3cmくらいの小さなぺら紙の紙片だ。なくしたり、飛ばされてしまいそうな感じなので、財布にしまいこんでおいた。 バスに比べて運賃は安く、3分の2程度だ。230km ほどが17.5TL(約330円)というのはかなり安い。 |
車内改札。バーコードを機械で読み取る方式。 立席客が見えるが、ほぼ全区間にわたって立席客がいた。出発時刻ギリギリに来たのでは、最初しばらくは座れなかった。 下左 出発後しばらくするとパムッカレが見えた。 下右 ホームでチャイを飲みながら語らう人々はいろいろな駅で見た。 |
11時55分、セルチュクに到着した列車。3時間30分かかった。 架線が見える。セルチュクからは、イズミル方面の近郊電車「イズバン」がでていて、ここからは電化区間なのだ。 下左 セルチュクの駅舎。 下右 駅前に出ると、いきなり水道橋があり、遺跡の街の雰囲気は抜群だ。 |
駅前の通りには飲食店や土産物屋が並ぶが、その一角にある「ワラビーズ」に泊まる。1階はレストランになっている。 駅からごく近いので、ここを選んだ。 |
今回のトルコ旅行で一番安い宿で、ゲストハウスだ。家具類が古く、部屋は狭いが、値段のことを考えると、やむを得ないと思う。 下左 トイレとシャワー。シャワーの周りにはわずかな高さの仕切り以外なにもない。なるべく、奥の隅でシャワーを「浴びたが、それでも水浸しになった。 下右 窓からの景色。中央の森のところに駅がある。 |
宿の近くのレストランで昼食にする。午後は、セルチュクの街を回ったあと、エフェス遺跡で閉鎖になる時間まで滞在するつもりなので、手っ取り早く食べたい、ということでセットメニューを出していたこの店にした。 下左 ピデ。具材がピザのように載せてあるタイプのピデらしいピデだ。 下右 アイラン。ピデとセット料金で20TL (約380円)というのはかなり安い。 |
上左 セルチュクでまず向かったのは、聖ヨハネ教会。 12使徒のひとりヨハネはこの地で晩年を過ごした。 上右 かつては巨大な教会だったという建物跡だが、土台と柱が少し残っているだけで、想像力を働かせるのが難しい。 左 この四角い大理石がヨハネの墓だと言われる。 |
上左 ヨハネの墓といわれる大理石からまっすぐ歩くと、教会の入口らしきものが復元されていた。 上右 オスマン時代に造られた城塞が教会跡の裏手にあるので上ってみた。 左 城塞からの眺め。畑の中を近郊電車「イズバン」が走っていた。 |
上左 イーサーベイ・ジャーミー。 聖ヨハネ教会から近かったが、全景を見られるポイントがなかった。 上右 内部の正面部分。説教台のところが一段高くなっているが、モスクではこのようなのはあまりないのではないか。 左 ほとんど何もないモスク内の空間。 |
エフェス考古学博物館。 下左 この博物館で最も有名なのが、2つのアルテミス像。こちらは大きく、大アルテミス像といわれる。 下右 アルテミス像。この2体は1つの部屋の中で向かい合うように置かれていた。 |
アルテミス神殿跡。 壮大な神殿があったというが、今は1本の柱が建っているだけだ。どういう向きだったかとか考えたがよくわからない。せめて、数本ならんでいるろかしたら、違っていたかもしれないが。 背後に、イーサーベイ・ジャーミーと聖ヨハネ教会裏手の城が見える。柱と合わせてみると印象的だ。 |
エフェス遺跡 |
アルテミス神殿跡からエフェス遺跡までは2kmほどだが、前回の訪問では行ってない「眠れる7人の男の教会」に立ち寄ることにした。 遠回りになるので、ここを回って遺跡の南入口まで5〜6kmほど。ここへ行く人は少なく、本当にこの道でよいのか不安になったが、何とか到着。 |
2軒の商店があったので、のどを潤してから、分岐点から200mほど坂道をわけ入ると教会の遺跡があった。 洞窟の教会だった。多くの洞窟があったのだが、大きな教会の部分なのか、小さな教会がたくさんあったのかとか、よくわからなかった。 |
上左 ヴァリウスの浴場を遺跡エリアの外側から見ながら入口へ。 上右 15時30分ごろ遺跡の南入口に到着。前回は北入口から入って再び北入口に戻ったのだが、今回は南から北への一方通行にした。 エフェス(エフェソス)は、ローマ帝国時代には、アジア州の拠点になり、大都市だった。そのため、トルコに残るローマ遺跡の中でも特に大規模な都市遺跡だ。 左 最初に向かったのはオデオン。音楽堂ということで、小劇場といった感じだ。観客席の傾斜はかなり急。 |
「上のアゴラ」とオデオンの間にある列柱の通り。 下左 プリタネイオン(公会堂)。かつては屋根付きの建物で、上には聖火がともされたというが、柱が少し残るだけ。 下右 「上のアゴラ」。広大な市場であった。 |
石に彫られた碑文を集めたエリアがあった。建物の中にも置かれていたが、中には入れなかった。 下左 ドミティアヌス神殿。かつては2階建ての巨大な神殿だった。ドミティアヌス帝が殺害され、その後に破壊された。1か所だけ2階建ての柱が残っていた。 |
上右 ポリオの泉。右側のアーチ状のところ。かつては後ろの方にも建物があったのだろう。 左 ニケのレリーフ。ギリシャ神話の「勝利の女神」で翼があるのが特徴。このレリーフはもとはヘラクレスの門に飾られていたもの |
上左 メミウスの碑。共和政ローマで独裁官となり、平民派を一掃した閥族派のスラの孫のメミウスが、スラを賞賛して建てた碑。 上右 ヘラクレスの門。柱に彫られているのはヘラクレス。門の上部にニケのレリーフがあった。 左 ヘラクレスの門の付近からの眺め。坂道であるクレテス通りを下りたところにケルスス図書館がある。 |
トラヤヌスの泉。トラヤヌス帝に献上された泉で土台の部分だけが当時のまま残っている。2階建ての建物が泉を囲っていた。正面部分だけ2階建てで復元されている。 下左 ハドリアヌス神殿。ハドリアヌス帝に献上された神殿。後のアーチの上部にはメドゥーサが手を広げている彫刻がある。 |
上左 スコラスティカの浴場。3階建ての浴場だったらしいが、その面影はない。 左 浴場の一角からは、ケルテス通りの行き止まりのところにケルスス図書館がよく見える。 |
古代のトイレ。新たに作られたものだろうが、今でもすぐに使えそうだと思った。仕切りがなく、隣の人とはくっつくような感じなのが難だが、当時は気にすることなく会話が行われていたのだろう。 |
上左 ケルスス図書館の手前に覆いで囲まれた「丘の上の住宅」がある。上流階層の住宅があって、中には床にモザイクが残されているものあるという。 上右 覆いの中に入ってみたが、別料金が必要なうえ、時間が遅くなっていて、有料のエリアには入らなかった。 左 娼館の付近の道にはモザイクが残されていたところがあった。 娼館の広告だといわれる足型もあるはずなのだが、これは見落としてしまった。前回は見ているので、まぁいいか。 |
マゼウスとミトリダデスの門。 アウグストゥス帝の奴隷であったマゼウスとミトリダデスが解放され、その後、経済的に成功し、彼らが皇帝への感謝のためにつくった門。 |
ケルスス図書館。 2階建ての建物がきれいに残っているが、残っているのは表の面だけ。 下左 下の方から上部を見る。 下右 中に入ると、建物は何もない。表の面だけがぺらんと建っているのが不思議だ。 |
「下のアゴラ」。屋根付きの回廊に囲まれた市場。回廊の柱が一部に残っている。 下左 方形のアゴラの内部には、柱の破片などが並べられていた。 |
上右 マーブル通りを進み、大劇場に入ってみた。入ると一番下の部分に出る。 左 座席を上がって、上部に行ってみた。座席上部がかなり高く、舞台部分が小さく見える。 |
上左 アルカディアン通り。かつて港から大劇場まで続いた大通り。右手には浴場などがあるが、暗くなってきたので、見学せず。 上右 聖母マリア教会。5世紀に「エフェス公会議」が開かれたことで有名。遺跡内に入ることもできるのだが、ここも暗くなってきて、外側から見ただけ。 左 北入口から出たのは閉園時刻の19時を少し回っていた。止まっていたドルムシュに乗車して、セルチュクに戻った。 |
ホテル近くのレストランへ。 |
サルディーンのフライを注文。 下左 パン。 下右 飲物はエフェスビール。 食後は宿へ。 |
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