3 日 目  旧 桃 園 神 社 と 後 慈 湖

 

朝食後は桃園へ 旧桃園駅舎を見学
 この日は丸一日、桃園方面に出かける予定。8時過ぎの台鉄の区間車で出発しようと思う。

 レストランの朝食が6時30分から始まって、間もなく朝食会場に向った。前日と同じく、入口でキーを見せ、席へ案内された。

 一皿目。前日には食べていなかった品を中心にいただいた。

 下左  テーブルの上には、「B11」とテーブル番号を書いたものがあった。

 下右  卵料理のコーナーで、自分の好みの料理のカゴに番号を書いたものを入れる。
 
  卵料理を注文。4種類のメニューがあり、グリーンンペッパーとオリーブのオムレツにした。まずいわけじゃないが、前日食べたハム、チーズ、オニオンオムレツの方がより美味しかった。

 テーブル番号の書かれたものをカゴに入れておき、そろそろ取りに行こうかと思っていたら、テーブルまで運ばれていた。高級ホテルの朝食では当たり前のサービスなのかもしれないが、初めての自分にはとても気の利いたサービスだと思った。もっとも、前日は知らずに、調理場で直接に声をかけて注文して恥ずかしい思いをしたが。

 下左  ヌードルバーではこの日は魚丸麺がでていたので、いただいた。

 下右  日本風のちらしずし。いただかなかったが、そばやいなりずしなどもあった。
 
 
 飲物はカフェオレ、フルーツ、デザートはヨーグルト風のチーズケーキ。

 朝食をすませて、いったん部屋に戻って、荷物を持って出発。
 
 23階の部屋からフロントのある7階まで、7階から1階の入口まで、1階から地下2階の台鉄の駅までと、ほとんど上下の移動ですませられて便利だった。

 予定通り8時16分発のと斗六行の区間車に乗車。台北で自強に乗り換えることも可能であったが、ほとんど到着時間が違わなかったので、1時間半ほど区間車に乗車した。1時間半の区間車はちょっと疲れる。南港はごく一部をのぞき、自強は止まらないので、この点もちょっと不便だった。
 
  桃園到着。桃園は新しい駅に変わっていることは知っていたが、どんな風に変わったのかとか、旧駅がどうなっているのか知りたかった。

 新駅のホームは地上にあり、旧駅のホームの台北寄りの部分に並んでいた。また、改札口や切符売場は跨線橋の上に設置されていた。

 駅の位置が少し台北寄りになったことと、いったん2階にあがって切符を買って改札口に入った後、再び1階に下りるのが、ちょっと不便だなって思った。
 
 跨線橋の上から台中方面を見たところ。

 旧駅の島式のホームと駅舎に隣接したホームが見える。写真右上の赤茶色の建物が旧駅舎だ。そして線路があったところが道路のようになっている。ホームとホームをつなぐ橋が2本あることもわかる。

  帰国後、調べたところ駅の移転は2015年7月26日だったという。実は2015年7月19日に中歴から台北まで自強に乗り、桃園にも停車しているのだが、移転の直前だったのでびっくりした。その乗車時はまさか一週間後に桃園站が移転だなんて思ってもみなかった。

 また、新しい駅とはいえ、仮駅で、今後は高架化がすすめられ、正式な新駅舎ができるとともに、この付近一帯の線路が高架になる計画のようだ。すでに、台中が新駅になるとともに、台中の一帯が高架になったが、そのような感じだなのだろう。
 
 跨線橋を下りたあと、旧駅のホームに立ち入ることができるようになっていたので、旧駅ホームに行ってみた。

 台北方向を見た写真。左のホームが駅舎に隣り合ったホーム。右の真ん中付近に新駅のホームが見える。

 下左  台中方向を見た写真。ホームとホームが狭い歩道橋でつながっている。

 下右  旧駅の台北側に新駅のホームがある。2階部分が改札口や切符売場。
 
 
 
 上左  旧駅舎で改札口があったところ。今もここからホームに入れるようになっている。

 上右  旧駅舎の中。売店など商業スペースとして利用されている。利用されていない部分もある。

 左  旧駅舎。今のところ、昔のままの姿で残されている。今でも使われている駅の感じがする。

 しかし、高架化工事の後はどうなるのだろうか。台中の場合は歴史的な駅舎のために旧駅舎が保存されているが、桃園の場合は、歴史的な建築物というほどではない。たぶん、今のところ保存されている旧駅のホームのあたりに高架駅ができるのだろうが、この旧駅舎の保存は難しいだろうと思う。
 
 駅の南側へ向かう地下道は健在であった。この地下道も、付近一帯の高架化が完成したあとは、新しくできた高架駅の1階部分が自由通路のようになって、行き来自由になるだろうから、高架化が完成すると同時にこの地下道も廃止されるだろう。台中の場合も、高架化と同時に地下道が廃止されている。

 この後、旧桃園神社に向ったので、のだが、神社から戻ってきたあと、この地下道を通って、駅の反対側にある桃園客運のターミナルに向った。
日本統治時代の姿のまま残る旧桃園神社
  旧桃園駅舎の前の中正路を500mほど直進し、成功路との交差点を右折したところの「成功路」バス停へ。(復路でわかったのだが、中正路を200mほど直進し、左折したところのバス停からも乗車でき、そのほうが近い。)

 105系統のバスに乗車して、15分ほど乗車。ICカード利用なので運賃は気にならない。「栄民医院」で下車。大きな病院であるので迷うことはない。バスの通る道からはずれて、病院のわきの坂道を5分ほど歩くとめざす旧桃園神社に到着。
 
 
 上左  かつては桃園神社であったが、現在は「桃園市忠烈祠」になっている。石柱は、現在の桃園市ができる以前の桃園県の時代にできたので「桃園県忠烈祠」と彫られている。

 上右  階段を上がると参道がある。参道の両側には石灯篭が並ぶが、桃園神社のときのまま残されているのだろう。

 左  鳥居は、日本の鳥居とは少し違う。柱の一番上の部分の横柱がない。台湾で見かける鳥居はほとんどが、横の柱は一本のものだ。(横の柱が二本ある日本式の鳥居は、猫村で有名な猴硐 (ホウトン)で見た。ただし、建物は残されていなかった。リンク先のページの真ん中付近に写真がある。)
 
  上左  神馬像。日本でも生きた神馬が飼われたり、神馬像がある神社はかなり大きな神社だと思うが、ここも日本統治時代には台湾を代表する大きな神社だったのだろう。

 上右  高麗犬(狛犬)。

 左  社務所。何か催事でもやっているのかと思ったのだが、催事の準備中ということで中には入れなかった。それでも窓から中をのぞくことができ、建物の中も日本式のまま利用されていて、畳敷きで押入れやふすまもあった。
 
 
 上左  絵馬。ちょっと失礼ながら絵馬に書かれている内容を見ると、健康祈願、合格祈願、恋愛祈願など日本の神社でよく書かれるものと同じだった。

 上右  手水。参拝する前に手を洗うという日本の神社独特の作法も残っているようだ。

 左  階段をあがり拝殿に入る前の門。額には「国魂」と書かれている。ここは外観は日本の神社だが、あくまで忠烈祠であり、祀っているのは、国のために尽くした人々の魂であるので、この額が掲げられているのだろう。
 拝殿。参道を少し歩いた奥にある。

 下左  拝殿に入ってすぐのところ。賽銭箱が置いてあるが、それ以外は日本の神社に比べてすっきりしている。

 拝殿の両翼には位牌が祀られているのだが、撮影は遠慮した。

 下右  拝殿を抜け、一番奥の最も高所にある本殿。一般参拝客は立入禁止であるのは、日本の神社でも台湾の忠烈祠でも同じ。

 
 
 案内板を見ると、日本語は併記されていないものの、日本の神社とほとんど同じ構造であることがよくわかる。台湾に残る最も完全な姿に近い日本の神社ということがよくわかった。参拝を終え、やって来た参道を引き返しバス停に向った。
蒋介石の好んだ後慈湖を散策
  「桃園栄民医院」のバス停で、20分ほどバスを待ったが、ようやくやってきた105系統に乗車。15分ほどで桃園站近くに戻ってきた。行きに乗車したバス停よりも駅に近いバス停まで乗車できることがわかり、駅により近いところまで乗車できた。

 下左  桃園站の北側から南側に向う地下道は、新駅開業後も残り、地下道を利用できた。以前にも通ったのだが、ずいぶん美しくなっている。

 下右  地下道を通って南側にでたところ。
 
 
 地上にでたところのすぐ前の道を直進。5分ほどで桃園客運のバスターミナルに到着。1階部分がバスターミナルである。

 下左  次のバスの時刻を時刻表で調べようとしていたら、その瞬間に大渓行きのバスがやってきた。バスターミナルに着いて1分もたたないうちに乗車できたのはラッキーだったが、バスターミナルの様子を観察する余裕はなかった。

 下右  45分ほどで大渓のバスターミナルに到着。数年前に古い建物の姿のままで修復されたようだ。
 
 大渓バスターミナルでは20分ほどの乗継時間があった。1時間ほど乗継時間があれば、大渓老街に歩いて行って、昼食をとるのだが、そんな時間はなかった。

 下左  慈湖まで乗車するバスがやってきた。マイクロバスだった。慈湖を経由する系統は多数あって、「経慈湖」と表記されている系統ならどれに乗車してもよい(ただし、どの系統も1日に数往復あるだけだが。)。

 下右  慈湖バス停には蒋介石の銅像があって、下車するところを間違える心配はない。
 
 
 
 
  バス停近くの服務站で後慈湖の入場券を買うためだ。ただし後慈湖の入場券は事前予約が必要なのだ。入場時間ごとに人数が限られていて、50人に達すれば、その入場時間の入場券は買うことができない。

 服務站から歩いてすぐのところには、慈湖の入口と彫塑公園がある。慈湖は山奥の池だが、池のそばには慈湖陵寝という蒋介石の墓(厳密には墓ではなく、遺体を防腐処理して棺桶に入れ、その棺桶が安置されているところ)がある。蒋介石の銅像は以前は台湾中にあったが、近年はほとんど撤去された。彫塑公園はそれら撤去された蒋介石の銅像を集めた公園だ。

 慈湖と彫塑公園は2012年に訪問している。(そのときの記録はこちら。) そのときは、後慈湖のことは全く知らず、この服務站を訪問したときに初めて、蒋介石が好んだ後慈湖があり、訪問するには事前予約が必要だということを知ったのだ。後慈湖が開放されたのは2009年からで、2012年の段階では日本語の旅行記などがなく気づかなったのだと思う。以来、機会をうかがっていたが、今回リベンジすることにしたのだ。
 
  ネット予約のプリントを見せて後慈湖の入場券を購入。100元であった。服務站の前に停車しているバスに乗車するように指示された。バスは「専車 後慈湖接馭車」と表示されている。

 ここから貸切バスで散策ルートの入口まで行き、ガイドとともにグループで後慈湖を回る。散策ルートの途中に南管制門があり、そこで入場券を見せて制限区域に入る。池のそばには蒋介石の別荘など5つの建物がるのだが、グループで見て回るようだ。

 本来は、後慈湖を見たあと、山道を歩き、制限エリアではなく誰でもこれる慈湖陵寝に出るのだが、山道や慈湖陵寝のあるエリアが整備のため閉鎖中だった。そのため、山道の途中にある防空壕の跡などを見られなかったのが残念だ。いずれ、3度目の慈湖訪問をおこない、そのときには防空壕なども見ようと思う。今回は、奥慈湖から再び、貸切バスの下車地点まで戻ることになる。所要時間は3時間。
 
 
  上左  バスを下車後、散策開始。一般車両は通れないが、スタッフなどの車は通る車道を3kmほど歩く。

 上右  ガイドがところどころで説明をおこなう。後慈湖に着くまでの間は、植物の説明がほとんどであった。中国語がわからないので、説明の間はちょっと退屈であった。

 左  後慈湖までの中間くらいの場所に南管制門があった。ここで入場券のチェックがあった。パスポートの提示は不要だが、入場券を購入するための予約ののさい身分証明書の番号の記入は求められていた。
 
  後慈湖に到着。制限された人数以外の客はやってこないので静かな池だ。2009年まで未開放だったので、自然も残されているのだろう。池に沿って歩いたが、、ガイドの説明は植物が中心だ。

 下左  蒋介石はいかだの上に椅子を置いて、湖に出ることを好んだということで、いかだと椅子が浮かべられている。

 下右  湖面から上がったくらいのところに5つ建物がある。そのうちの1つの5号弁公室には蒋介石が慈湖賓館(死後に慈湖陵寝になった建物)で使ってた家具などが展示されている。
 
   賓客時に使われたダイニングテーブル。

 下左  蒋介石の机。茶碗は入れ歯を入れるためのもの。

 下右  宋美齢夫人のベッド。
 
 
 
 蒋介石のベッド。

 以上は慈湖賓館にあったものらしい。

 下左  湖畔より少し高い位置にある山道を移動。

 下右  4号弁公室へ。
 
 
 こちらにも展示が少しある。

 蒋介石がいかだの上で座ったときの椅子のようだ。

 
 
 蒋経国の展示も少しあって、空軍の黒猫中隊の上将をしていたという。黒猫中隊は中国大陸の偵察をしていた部隊のようだが、日本語の説明がなく詳しくは不明。

 弁公室はあと1つ、売店になっていたところに入ったほか、5つともそばを通過はした。
 
 本来なら、防空壕も見て、慈湖寝陵へ向うのだが、今回はかなわず、再び、後慈湖を見ながらやってきた道を引き返し、南管制門から制限エリア外に出て、貸切バスの待つところに向った。
 
 防空壕をみるためにまた慈湖にはやってくるつもりだが、いつの日になることやら。
臺鐵便當と桃園観光夜市
 
 上左  貸切バスで慈湖の服務站へ戻った。

 上右  時間の余裕があれば、彫塑公園などへ行くつもりだったが、17時になっていたので、大渓に向う。

 左  夕食は桃園観光夜市でとりたかったので、大渓老街もパス。再度、慈湖、後慈湖には行くつもりなので、そのときに大渓老街も再訪問してみよう。

 大渓から桃園へのバスは渋滞のため、本来45分ほどのところ、1時間30分かかった。
 
 桃園客運のバスターミナルに戻ってくると、もう19時。このあと桃園観光夜市に向うのだが、台北に戻る台鉄の時刻を確認しておくため桃園站に行った。

 そこで見かけたのが、台鉄弁当(正式には「臺鐵便當」)の売場。食事はなるべく食堂や屋台で食べようと考えているので、台鉄の駅で売っている台鉄弁当を食べる機会はほとんどない。この日は昼食抜きで、朝食後何も食べておらず、とても疲れていたので、急きょ、台鉄弁当を食べてみようと思った。

 台鉄弁当は台北車站では3ヶ所で売っているし、高雄、台中、台東の各駅でも売っているのを知っている。しかし、観光客にあまり縁がなさそうな桃園でも売っているとは思わなかった。通勤帰りらしき客も購入しているので、コンビニ弁当の感覚で買われているのかもしれない。

 
 
 台鉄弁当のパッケージ。この熊は、台湾観光のキャラクターの台湾喔熊(Oh!Bear)に似ているが、別ものだ。眼の部分や鼻の部分をみればわかる。もちろんクマモンではない。台鉄餐旅熊というらしい、つまり台鉄弁当のオリジナルキャラのようだ。

 販売されていた弁当は2種類あって、「臺鐵排骨八角木片盒便當」80元(約290円)と「臺鐵傳統排骨便當」60元(約230円)。値段は信じられないくらい安い。このあと夜市に向うつもりなので、安いほうにした。

 
 桃園站の仮駅には、待合室はないが、ベンチが並べられているところはある。行きかう人の通る通路に面したところだが、そこに座っていただくことにした。

 紙箱に詰められた米飯。その上には、排骨(豚の骨付き肉を煮込んだもの)、湯葉を煮込んだもの、煮卵、青菜が入っている。これで60元だがら大満足だ。売場の写真を見ると80元のほうは、箱が八角形であることのほか、さらに、魚と別の野菜も入っているようだ。

 この日はバスの乗継が比較的短時間であったため、昼食抜きだったこともあり、美味しくいただいた。
 
 桃園駅前の中正路を直進すると道路の正面に見えてくるのが景福宮。道路のど真ん中に寺があって、寺の両側が道路になっている。
 
 桃園では最も大きな寺じゃないだろうか。門を入ったところんは金の龍がいるのだが、どういうわけか、この龍は後ろ向け。この寺をすぎると、寺の両側に別れている道路は再び合体して1つの道路になる。
 
 
 
 上左  駅から30分ほど歩いて、桃園観光夜市の入口へやってきた。

 上右  夜市の様子。道路の両側に屋台が並ぶほか、交差する道路も交差点付近には屋台が出ている。

 左  台鉄弁当をすでに食べているが、せっかくなので一品くらいは何か食べて行こうと思った。その中で選んだのは鍋貼(焼き餃子)。
 
 
 
 上左  かなり大きな餃子で、普通の餃子の1.5〜2倍くらいある。

 上右  餃子に決めた後、屋台の近くのコンビニでビールを買ってきてから注文した。

 左  食後は30分ほど歩いて桃園站に戻り、21時半ごろの区間車で南港に戻った。ホテルの部屋に着いたのは23時。冷蔵庫のビールを飲んで、8時から23時まで外出という長い一日を終えた。

 

 

 

 

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