1998.8 中  欧

 

  ”中欧(中央ヨーロッパ)”という語は、1989年に連鎖的に発生した、旧東欧(東ヨーロッパ)諸国の政変---共産党政権の崩壊---のあと、”東欧”にかえて使われることが多くなった地域の名である。

  ただ、旧東欧のなかでも、チェコとスロバキア(旧チェコスロバキア)、ハンガリーは、中欧と呼ばれることが今では多いのに対し、それ以外の旧東欧諸国は、あまり中欧とは呼ばれていないように思う。

  一方、中欧には、オーストリアも含めて考える場合が多い。なかには、ドイツを含める場合もあるが、こちらは一般的とは言いがたい。

  そんなわけで、このページでは、1998年に訪問した旧東欧とオーストリアの旅のうち、旧ユーゴスラビアを除く、オーストリア、チェコ、ハンガリーの部分を取り上げる。とはいっても、訪問したと都市は、いづれの国も首都のみで、ウィーン、ブダペスト、プラハである。

 

     ウィーン    1日目  2日目 ‥‥ 帰国時ウィーン立ち寄り 3日目

     ブダペスト     1日目  2日目

     プラハ     1日目  2日目

  このほか、2000年にリビアの帰途、ウィーンに立ち寄っている → 2000年のウィーン